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はやし浩司


☆☆☆☆ 子育て最前線でがんばる、お父さん、お母さんのための、育児マガジン ☆☆☆☆
  12月  28日号
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これからもよろしくお願いします。

お子さんといっしょに、お楽しみください。

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Nr.1286号
2009年12月2日現在

●毎週・月・水・金発行 ●はやし浩司のメイン・サイトは、はやし浩司より

掛川市での夜のj講演会
最前線の育児論                  

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●BW教室から

●チン毛

 小学4年生の子どもたちが、ヒソヒソと何やら話している。
A君が言った。
「お前、本当に、生えているのか?」
B君「生えているよオ〜」
A君「本当か?」
B君「まだ、産毛だけどね……」と。

 横には女児がいる。
前には、私というおとながいる。
先週、何かの拍子に、A君が、「生えている」と漏らしたのを、B君が覚えていた。

私「そういう話は、してはだめ。セクハラになる!」と。

が、それを横で聞いていたC子さん(女児)が、すかさず、こう言った。
「そんな話、学校で、たくさん聞いている!」と。

私「学校で?」
C「保健体育の時間に、先生が話してくれた」
私「先生が?」
C「そうよ……。教科書の最後に、絵が載っていた。私、あれを見て、気持ち悪かった…
…」
私「どうして、気持ち悪かったの?」
C「だってさア、アレが、ダラ〜ンとぶらさがっていたもん」と。

 つまり男性のアレが、ダラ〜ンとぶらさがっていたというのだ。

私「どうして、ぶらさがっていたら、気持ち悪いの?」
C「だってさあ、あんなふうに、ぶらさがっていないもん」と。

 それを聞いて、みなが、笑った。

男児たち「お前さア、見たことあるのかア? エッチだなア……」と。

私「あのなあ、ふつうは、ダラ〜ンとぶらさがっている」
C「ギャー、気持ち悪い!」
私「ヘビじゃないんだからさア……。気持ち悪いというのは、おかしい」
C「ギャーア、ハハハハ」と。

 「性」というのは、不思議な二面性をもっている。
ただの器官としての(性)。
性欲を燃え上がらせるための(性)。
男も女も、この2つの間を、行ったり来たりしている。
その中から、無数のドラマが生まれる。
小学4年生というと、この二面性に気づき始める年齢ということになる。


●世界一すばらしい人

 年長児のクラスで、「世界でいちばん、すばらしい人はだれか?」という質問をしてみた。
当然、「ママ」とか、「お母さん」という言葉が返ってくるものとばかり思っていた。
が、いくら促しても、そういう言葉が出てこない。
中に、「アラン・ドロン」と答えた子どももいた。
しびれをきらして、私が、「お母さんだろ!」と言うと、みなが、「ゲーッ」と。

 これには驚いた。
うしろの席には、母親たちが、みな参観している。

私「あのなあ、そういうこと言うと、お母さんが悲しむよ」
子「だって、うちのママ、全然、かっこよくないもん」
私「あのなあ、そういうことを、人の前で言ってはだめ」
子「だって、本当だもん」と。

 つづいて、「世界で、いちばん大切な人はだれか」とも聞いてみた。
このときも、「パパ」とか、「お父さん」という言葉が返ってくるものとばかり思っていた。
が、やはり、そういう言葉が、いつまで待っても、出てこない。

私「あのなあ、パパだろ。パパが、いちばん大切だろ」
子「パパだってエ〜。ゲラゲラ」
私「あのなあ、そういうことを言うと、君たちのパパは悲しむよ」
子「ママがいるから、いい……」
私「もう、お前たちは、いったい、何を考えているんだ。許さん!」
子「許さん……てえ?」
私「全員、おしおきだ」と。

 ……こうした様子は、YOUTUBEに収録しておいた。
興味のある人は、どうか、見てほしい。
子どもたちの明るい笑い声を、楽しんでもらえるはず。

(注)本当は、子どもたちの表情をカメラに収めたいのだが、このところ肖像権という
のが、うるさくなった。
私自身は、子どもたちにとっても、よい思い出になるから、カメラに収録しておきたい
のだが……。
この時期の子どもたちは、数か月単位で、表情も様子も、どんどんと変わっていく。

BW公開教室・11月号は、以下のアドレスから……。

http://bwhayashi.ninja-web.net/page009.html

どうか、お楽しみください。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人がもつ悪魔性について

++++++++++++++++++

イギリスでは、『抑圧は悪魔を作る』という。
慢性的な抑圧状態がつづくと、ものの考え方が
悪魔的になることをいう。

ここでいう「抑圧状態」というのは、いわゆる
心が押し殺された状態をいう。
言いたいことも言えない。
したいこともできない。
不平や不満が押しつぶされ、心が石のようになる。
そういう状態をいう。

また「悪魔的」というのは、ズバリ、人間らしい心の崩壊をいう。
道徳の崩壊、倫理の崩壊につづいて、善悪感覚の
麻痺、心の温もりの消失、やさしさの欠落……とつづく。

で、ここが重要だが、一度、心の崩壊、つまり
心が壊れると、修復は、たいへんむずかしいということ。
私が知るかぎり、心が一度壊れた人が、そのあと、
再び人間らしい心を取り戻したという例はない。
何とかごまかして、それらしく取り繕う人はいるが、
基本的には、変わらない。

1920年代にあいついで見つかった、野生児を
例にあげるまでもない。

+++++++++++++++++++

●悪魔性

 「悪魔」とまではいかないにしても、「悪人」と呼ばれる人は多い。
しかし悪人といっても、心の問題だから、外からはわかりにくい。
「私は悪人です」というラベルを、張っているわけでもない。
さらにタチの悪いことに、このタイプの人ほど、仮面をかぶる。
(よい人)ぶる。

 だから私は、「悪魔」というよりは、「悪魔性」という言葉を使う。
「悪魔的」でもよい。
内に潜んで、外に顔を出さないから、「悪魔性」という。
その悪魔性は、ときとばあいに応じて、その人の心を裏から操る。

●反動形成

 この悪魔性は、0歳から4、5歳の幼児期前期までに作られると考えてよい。
それ以後も、『抑圧は悪魔を作る』という格言は正しいが、修復が不可能という
状態にはならない。
しかし0歳から4、5歳までに、一度この悪魔性が作られると、先にも書いたように、
以後、修復するのが、たいへんむずかしくなる。

 ひとつの例として、「嫉妬」をあげる。
たとえば下の子どもが生まれたとき、上の子どもが、赤ちゃん返りという症状を
示すことがある。

 ネチネチと赤ちゃんぽくなるのを、マイナス型とするなら、下の子どもに対して
暴力的になるのは、プラス型ということになる。
マイナス型とプラス型の両方を、あわせもつケースも少なくない。

 そのとき、上の子どもが、(よくできた、いい兄(姉))を演ずることがある。
これを心理学の世界では、「反動形成」という。
本当は下の子が憎くてしかたないのだが、その心を見抜かれると、自分の立場が
なくなる。
そこで上の子どもは、(いい兄(姉))という仮面をかぶることで、人の目をごまかす。

 こうした一連の反応は、本能的な部分で起こるため、本人にも仮面をかぶっている
という意識はない。
が、その裏で、上の子どもは、大きく心をゆがめる。
それがおとなになってからも、いろいろな形に姿を変えて、残る。

●欲求不満

 一般的に、長男、長女は、生活態度が防衛的になる。
「防衛的」というのは、ケチで、ため込み屋になりやすいということ。
嫉妬深く、用心深く、かつ疑り深い。

 親にすれば、「兄(姉)も弟(妹)も同じようにかわいがっています」ということ
になるが、兄(姉)にすれば、「同じように」という部分が、そもそも不満という
ことになる。
下の子どもが生まれるまでは、100%の愛情を受けていた。
それが下の子どもが生まれて、半分、あるいはそれ以下に減ってしまった。
それが不満ということになる。

 このばあいは、慢性的な愛情飢餓状態になる。

 言い忘れたが、「抑圧」といっても、2種類、ある。
外発的な抑圧(たとえば過干渉、過負担など)と、内発的な抑圧(愛情飢餓、
欲求不満)である。
どちらも子どもの心に対して、同じように作用する。

●ケチ

 この文章を読んでいる人で、長男、長女の人は多いと思う。
その中でも、ケチの人は、多いと思う。
ためこみ屋の人も、いる。
あのフロイトも、肛門期に、たとえば愛情飢餓の状態になると、ケチになりやすいと
説いている(※)。
しかしそういう人でも、その原因が、自分の乳幼児期にあると気がついている
人は少ない。
だいたい、自分がケチであるということにすら、気がついていない。

 たいてい長い時間をかけて、自分のケチを正当化してしまっている。
「私は倹約家だ」「質素こそ、生活の旨(むね)とすべき」「私は無駄づかいは
しない」と。
だからむしろ、「私はすばらしい人間」と思い込んでいる。
そしてそうでない人を、「浪費家」とか、「愚かな人」と、さげすんでいる。

 ため込み屋にしても、そうだ。
モノを捨てることができない。
そのため部屋中、家中、モノであふれかえることになる。
ひどくなると、ゴミまで、ため込むようになる。
もっともこの段階になると、心の病気がからんでくるため、単純に考えることは
できない。

 ともかくも、ケチな人は、自分がケチだとは思っていない。
その人がケチであるかないかは、そうでない人から見て、わかること。
自分では、わからない。
つまりそれくらい、自分を知ることは、むずかしい。
いわんや、悪魔性をや、ということになる。

●心の壊れた人

 以前、私にこんなことを話した人がいた。

 その人(男性、60歳くらい)は、車を運転しているとき、車をどこかの塀に
ぶつけたらしい。
そのため塀の一部というか、1メートル前後にわたって、大きく傷をつけてしまった。
それについて、その人は、得意げに、(「得意げに」だ)、こう言った。

 「林さん、あんなのいちいち謝りに行っていたら、かえって補修費を請求されるよ。
だからぼくはね、帰り道、わざと自分の車を、山の崖に当ててね、車に傷をつけた。
そうすれば、自分の車は、保険で直してもらえるからね」と。

 私が「それって、当て逃げになるのでは?」と言うと、その人は、こう言って
笑った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、あの家は、バーさんのひとり暮らしだから」と。

 一見すると、あっけらかんとして、朗らかな人に見えるが、心が壊れた人というのは、
そういう人をいう。

●私のばあい

 その人を非難しているのではない。 
私も、あの戦後のどさくさの最中に生まれ育っている。
道徳観も倫理観も、希薄な時代だった。
みなが、心のより所を見失い、「マネー」「マネー」と言い始めた時代だった。
家庭教育の「カ」の字もない時代だったと言っても、過言ではない。
少なくとも、今という時代と比較すると、そうだった。

 だから道路でお金やモノを拾っても、それはすべて拾った子どものものになった。
「交番へ届ける」という発想そのものが、なかった。
ある時期などは、大きな磁石にヒモをつけ、それで川の中をさらって歩いたこともある。
それで鉄くずを集めて、鉄くず商へもっていくと、結構なお金になった。
父が一日かかって稼ぐ金額より多く、稼いだこともある。
もっとも、それは悪いことではなかったが……。

 実は、先に書いた、塀に当て逃げした男というのは、私の子ども時代からの
知人である。
同じ価値観を共有している。
つまり相手の男は、私もまた同じような人間だろうということで、その話をした。
事実そのとおりだから、反論のしようがない。
反論のしようがないから、今、私はそういう自分の中に潜む悪魔性と、懸命に
闘っている。
私も油断すれば、ふとあのころの自分に戻ってしまう。

小ずるくて、インチキ臭い。
ウソは平気でつく。
人をごまかしても、罪の意識が薄い。

それを「たくましさ」と誤解する人もいるかもしれないが、ほんとうのたくましさは、
生き様の中で試される。
逆境の中で、どう生きていくか。
その生き様の中で試される。
ずる賢い人のことを、「たくましい人」とは、言わない。

●『抑圧は悪魔を作る』

 ここに書いたことだけでも、乳幼児期の子どもの育て方が、いかに重要なもので
あるかが、わかってもらえたと思う。
内的抑圧にせよ、外的抑圧にせよ、『抑圧は、悪魔を作る』。
そしてその悪魔性は、生涯にわたってその人の心の奥深くに住み、その人の心を
裏から操る。

 こうした悪魔性の恐ろしいところは、その悪魔性そのものよりも、悪魔性に毒される
あまり、大切でないものを大切なものと思い込んだり、大切なものを大切なものでない
と思い込んだりするところにある。
つまり時間を無駄にする。
積もり積もって、わずかな利益と交換に、人生を棒に振る。

●終わりに・・・

 先ほどケチについて書いた。
ひょっとしたら、あなた自身のことかもしれない。
あるいはあなたの周囲にも、そういう人がいるかもしれない。
が、私が知っている人の中には、家族よりも金儲けのほうが大切と考えている人もいる。
妻や子どもですら、自分の金儲けの道具くらいにしか考えていない。
私たちから見ると、実に心のさみしい人ということになるが、しかしそういう人を
だれが笑うことができるだろうか。

 この世界で、抑圧を受けていない人はいない。
いつも心のどこかで、じっと、それに耐えている。
毎日が、抑圧との闘いであると言っても過言ではない。
そのため、多かれ少なかれ、悪魔性は、だれももっている。
悪魔性のない人は、いない。

 大切なことは、その悪魔性に気がつくこと。
つぎに大切なことは、その悪魔性に毒されないこと。
これは人生を有意義に生きるための、大鉄則と考えてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 抑圧 抑圧は悪魔を作る 悪魔性 悪魔的思考法 抑圧論 ケチ 
ケチ論 はやし浩司 けち けち論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ケチ論

 ケチと倹約については、たびたび書いてきた。

+++++++++++++++++++++

子どもの自慰とからめて、人間の心は
乳幼児期に作られることを、再確認してほしい。

+++++++++++++++++++++

【子どもの自慰】

●自慰

 子どものばあい、慢性的な欲求不満状態がつづいたり、慢性的な緊張感がつづいたりす
ると、何らかの快感を得ることによって、それを代償的にまぎらわそうとする。代表的な
ものとして、指しゃぶり、髪いじり、鼻くそほりなどがある。

 毛布やボタンなどが手放せない子どももいる。指先で感ずる快感を得るためである。が、
自慰にまさる、快感はない。男児というより、女児に多い。このタイプの女児は、人目を
気にすることなく、陰部を、ソファの角に押し当てたり、直接手でいじったりする。

 そこでこういう代償的行為が見られたら、その行為そのものを禁止するのではなく、そ
の奥底に潜む原因、つまり何が、慢性的な欲求不満状態なのか、あるいはなぜ子どもの心
が緊張状態にあるかをさぐる。そのほとんどは、愛情不足もしくは、愛情に対する飢餓感
とみてよい。

 で、フロイトによれば、人間の行動の原点にある、性欲動という精神的エネルギー(リ
ビドー)は、年齢に応じて、体のある特定の部分に、局在するという。そしてその局在す
る部分に応じて、(1)口唇期(生後〜18か月)、(2)肛門期(1〜3歳)、(3)男根期
(3〜6歳)、(4)潜伏期(6〜12歳)、(5)性器期(12歳〜思春期)というように、
段階的に発達するという。

 が、それぞれの段階に応じて、その精神的エネルギーがじょうずに解消されていかない
と、その子ども(おとな)は、それぞれ特有の問題を引きおこすとされる。こうした状態
を「固着」という。

 たとえば口唇期で固着を起こし、じょうずに精神的エネルギーを解消できないと、口唇
愛的性格、たとえば依存的、服従的、受動的な性格になるとされる。肛門期で固着を起こ
し、じょうずに精神的エネルギーを解消できないと、肛門愛的性格、たとえば、まじめ、
頑固、けち、倹約的といった性格になるとされる(参考、「心理学用語」渋谷昌三ほか)。
 
●代償行為

 男根期の固着と、代償行為としての自慰行為は、どこか似ている。つまり男根期におけ
る性的欲望の不完全燃焼が、自慰行為の引き金を引く。そういうふうに、考えられなくも
ない。少なくとも、その間を分けるのは、むずかしい。

 たとえばたいへん強圧的な過程環境で育った子どもというのは、見た目には、おとなし
くなる。まわりの人たちからは、従順で、いい子(?)という評価を受けやすい。(反対に、
きわめて反抗的になり、見た感じでも粗雑化する子どもも、いる。よくある例は、上の兄
(姉)が、ここでいう、いい子(?)になり、下の弟(妹)が、粗雑化するケース。同じ
環境であるにもかかわらず、一見、正反対の子どもになるのは、子ども自身がもつ生命力
のちがいによる。強圧的な威圧感にやりこめられてしまった子どもと、それをたくましく
はね返した子どものちがいと考えると、わかりやすい。)

 しかしその分だけ、どちらにせよ、コア・アイデンテティの発達が遅れ、個人化が遅れ
る。わかりやすく言えば、人格の(核)形成が遅れる。教える側からみると、何を考えて
いるかわかりにくい子どもということになる。が、それではすまない。

 子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして、成長する。
このタイプの子どもは、反抗期にしても、反抗らしい反抗をしないまま、つぎのステップ
に進んでしまう。

 親によっては、そういう子どもほど、いい子(?)というレッテルを張ってしまう。そ
してその返す刀で、反抗的な子どもを、できの悪い子として、排斥してしまう。近所にそ
ういう子どもがいたりすると、「あの子とは遊んではダメ」と、遠ざけてしまう。

 こうした親のもつ子ども観が、その子どもを、ますますひ弱で、軟弱にしてしまう。中
には、自分の子どもをそういう子どもにしながら、「うちの息子ほど、できのいい息子はい
ない」と公言している親さえいた。

 しかし問題は、そのあとにやってくる。何割のかの子どもは、そのまま、生涯にわたっ
て、ひ弱で、軟弱なまま、陰に隠れた人生を送ることになる。しかし大半の子どもは、た
まったツケをどっと払うかのように、さまざまな問題を起こすようになる。はげしい反抗
となって現れるケースも多い。ふつうの反抗ではない。それこそ、親に対して、包丁を投
げつけるような反抗を、繰りかえす。

 親は、「どうしてエ〜?」「小さいころは、あんないい子だったのにイ〜!」と悲鳴をあ
げる。しかし子どもの成長としては、むしろそのほうが望ましい。脱ぎ方に問題があると
しても、そういう形で、子どもはカラを脱ごうとする。その時期は、早ければ早いほどよ
い。

 反抗をしないならしないで、子どもの心は、大きく歪(ひず)む。世間を騒がすような
凶悪事件を起こした子どもについて、よく、近所に住む人たちが、「どちらかというと目立
たない、静かな、いい子でしたが……」と言うことがある。見た目にはそうかもしれない
が、心の奥は、そうではなかったということになる。

●神経症

 話が大きく脱線したが、子ども自慰を考えるときは、こうした大きな視点からものを考
える必要がある。多くの親たちは、そうした理解もないまま、娘が自慰らしきことをする
と父親が、息子が自慰らしきことをすると母親が、あわてる。心配する。「今から、こんな
ことに興味があるようでは、この先、どうなる!」「この先が、思いやられる」と。

 しかしその原因は、ここに書いてきたように、もっと別のところにある。幼児のばあい、
性的好奇心がその背景にあると考えるのは、まちがい。快感によって、脳内ホルモン(エ
ンケファリン系、エンドルフィン系)の分泌をうながし、脳内に蓄積された緊張感を緩和
しようとすると考えるのが正しい。

 おとなでも、緊張感をほぐすため、自慰(オナニーやマスターベーション)をすること
がある。

 だからもし子どもにそういう行為が見られたら、その行為そのものを問題にするのでは
なく、なぜ、その子どもがそういう行為をするのか、その背景をさぐるのがよい。もっと
はっきり言えば、子どもの自慰は、神経症、もしくは心身症のひとつとして対処する。

 自慰を禁止したり、抑えこんだりすれば、その歪みは、また別のところに現れる。たと
えば指しゃぶりを、きびしく禁止したりすると、チックが始まったり、夜尿症になったり
する。そういうケースは、たいへん多い。

 そういう意味でも、『子どもの心は風船玉』と覚えておくとよい、どこかで圧力を加える
と、その圧力は、別のところで、べつの歪みとなって現れる。

 子どもの自慰、もしくは自慰的行為については、暖かく無視する。それを強く叱ったり
すると、今度は、「性」に対して、歪んだ意識をもつようになることもある。罪悪感や陰湿
感をもつこともある。この時期に、一度、そういう歪んだ意識をもつようになると、それ
を是正すのも、これまたたいへんな作業となる。
(はやし浩司 自慰 子供の自慰 オナニー 神経症 心身症 子どもの自慰 
はやし浩司 固着 口唇期 肛門期 男根期 子供の心理 心の歪み)

【補足】

 歪んだ性意識がどういうものであるか。恐らく、……というより、日本人のほとんどは、
気づいていないのではないか。私自身も、歪んだ性意識をもっている。あなたも、みんな、
だ。

 こうした性意識というのは、日本の外から日本人を見てはじめて、それだとわかる。た
とえば最近でも、こんなことがあった。

 私の家にホームステイしたオーストラリア人夫婦が、日本のどこかへ旅行をしてきた。
その旅先でのこと。どこかの旅館に泊まったらしい。その旅館について、友人の妻たち(2
人)は、こう言った。「混浴の風呂に入ってきた」と。
 
 さりげなく、堂々と、そう言う。で、私のほうが驚いて、「へえ、そんなこと、よくでき
ましたね。恥ずかしくありませんでしたか」と聞くと、反対に質問をされてしまった。「ヒ
ロシ、どうして恥ずかしがらねばならないの」と。

 フィンランドでは、男も女も、老いも若きも、サウナ風呂に入るのは、みな、混浴だと
いう。たまたまそのオーストラリア夫婦の娘の1人が、建築学の勉強で、そのフィンラン
ドに留学していた。「娘も、毎日、サウナ風呂を楽しんでいる」と。

 こうした意識というのは、日本に生まれ育った日本人には、想像もつかないものといっ
てもよい。が、反対に、イスラムの国から来た人にとっては、日本の女性たちの服装は、
想像もつかないものらしい。とくに、タバコを吸う女性は、想像もつかないらしい。(タバ
コと性意識とは関係ないが……。)

 タバコを吸っている若い女性を見ると、パキスタン人にせよ、トルコ人にせよ、みな、
目を白黒させて驚く。いわんや、肌を露出して歩く女性をや!

 性意識というのは、そういうもの。私たちがもっている性意識というのは、この国の中
で、この国の常識として作られたものである。で、その常識が、本当に常識であるかとい
うことになると、そのほとんどは、疑ってかかってみてよい。

 だいたいにおいて、男と女が、こうまで区別され、差別される国は、そうはない。今度
の女性天皇の問題にしても、そうだ。そうした区別や差別が、世界の常識ではないという
こと。「伝統」という言葉で、ごまかすことは許されない。まず、日本人の私たちが、それ
を知るべきではないだろうか。

 こう考えていくと、自慰の問題など、何でもない。指しゃぶりや髪いじりと、どこもち
がわない。たまたまいじる場所が、性器という部分であるために、問題となるだけ。……
なりやすいだけ。そういうふうに考えて、対処する。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 はやし浩司 自慰 子供の自慰 自慰行為 オナ
ニー)

Hiroshi Hayashi++++++++Nov.09+++++++++はやし浩司

【私を知る】

●ためこみ屋(ケチ)

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数日前、「ためこみ屋」と呼ばれる人について書いた。
どんどんと、自分の身のまわりに、ものをためこむ人をいう。
「ためこみ屋」というのは、私が考えた言葉ではない。
心理学の本にも出ている。
ちゃんとした言葉(?)である。
時に家中を、ものだらけにしてしまう。
ひどくなると、家の中や外を、ごみの山にしてしまう。

一般的に、ためこみ屋は、ケチである。
ためこみ屋、イコール、ケチ、ケチ、イコール、ためこみ屋と考えてよい。
が、一方的にケチかというと、そうでもない。
ときに突発的に寛大になることがある。
雰囲気にのまれて、大金を無駄にはたいたりする。
こうした現象は、排便論で説明される。

フロイト学説によれば、2〜4歳の肛門期に、何かの問題があって、
そうなるという。
つまり乳幼児にとっては、便は(財産)。
その便をためるという行為が、ものをためるという行為につながる。
しかし同時に、排便の快感も味わう。
それが(突発的に寛大になる)という行為につながる。

もう少し詳しく説明すると、こうなる。
肛門期に、(1)親にきびしい排便のしつけがされた、(2)排便にたいして適切な
指導を受けなかった、(3)排便について、何らかのトラウマができた。
排便だけではない。

とくに注意したいのが、愛情問題。
たとえば下の子どもが生まれたりして、上の子どもが、愛情飢餓状態に
なることがある。
親は「平等にかわいがっています」と言うが、上の子どもにしてみれば、
それまであった(愛情)が、半分に減ったことが不満なのだ。
赤ちゃん返りは、こうして起きる。

そういう経験をした子ども(人)は、生活態度が、防衛的になる。
長男、長女がケチになりやすいという現象は、こうして説明される。

が、こうした現象を知ることによって、私たちは私の中の(私)を
知る手がかりを得ることができる。
あるいはそのヒントを得ることができるようになる。
ここでは、それについて考えてみたい。

++++++++++++++++++++

●私の知人

私は基本的には、ケチではない。
自分で自分をケチと思ったことはない。
しかしそんな私でも、ときどき落ち込んでいるようなとき、パッと
ものを衝動買いすることがある。
とたん、気分がスカッとする。
反対に、ものを衝動買いすることによって、ストレスを発散させることもある。
これも言うなれば、肛門期の名残(なごり)ということになる。

が、それが病的な状態にまで進んでしまうことがある。
だれがみても、(ふつうでないという状態)になることがある。
それがここでいう「ためこみ屋」ということになる。

私の知人に、こんな人(50歳くらい)がいる。
ケチの上に、「超」がつくような人である。
娘が結婚したが、その引き出物として、100円ショップで買ってきた
家庭用品を5〜6個ずつ、箱に入れて渡していた。
(100円ジョップの商品だぞ!)

もちろん小銭に、うるさかった。
小さな菓子屋を経営していたが、妻などは、家政婦くらいにしか
考えていなかった。
すべての行為が、(金儲け)につながっていた。
またそういう目的のために、結婚したようなもの。
妻を使ったというより、こき使った。
そのため妻はやがて、うつ病になり、自殺未遂まで起こしている。

が、悲しいかな、それでその知人が、自分の愚かさに気づいたというわけではない。
妻は1か月ほど入院したのだが、入院費がもったいないという理由で、その知人は、
無理に退院させてしまった。

そのあとのことは知らないが、人づてに聞いたところでは、その知人はケチはケチだが、
ためこみ屋ではないとのこと。
家の中も、それなりに整頓されているとのこと。
しかしそれには、妻の努力があったようだ。
妻が、きれい好きだったということか。
加えてケチが転じて、その知人は、守銭奴になった。
何しろ子どもの学費すら、「もったいない」と言って、ケチったという。

これはあくまでも一般論だが、ためこみ屋の人は、ものを失うことに、強迫観念を
もっていると考えられる。
あるいは時間に対して、異常なまでに執着し、そのため生活そのものが時刻表的
になることが多い。
これは乳幼児期における、神経質な排便指導が原因と言われている。

●人は人

もっともそれでその知人がそれでよいというのなら、それでよい。
私のような他人が、とやかく言ってはならない。
またそんなことをすれば、それこそ、内政干渉。
しかしその知人は、私たちに大切な教訓を与えている。
つまり(私の中の私)である。

ためしにその知人に、こう言ってみたらどうだろうか。
「あなたはあなたですか? 
あなたはあなたの中の、あなたでない部分に
操られているとは思いませんか?」と。

その知人は、まちがいなく、その質問に猛反発するにちがいない。
「私は私だ。私のことは、私がいちばんよく知っている」と。

しかしそうでないことは、ここまで読んでくれた人にはわかるはず。
その知人もまた、(私であって私でない部分)に操られているだけ。
原因はわからないが、いろいろ考えられる。

その知人は、4人いる兄弟姉妹の長男。
昔からの菓子屋。
父親は、道楽三昧(ざんまい)の遊び人だった。
母親は、近所でも有名なほど、勝気な人だった。
そのため長男のしつけには、ことさらきびしかったようだ。
そういう家庭環境の中で、その知人は、その知人のようになった。

言い換えると、自分を知ることは、それほどまでに難しいということ。
しかし知ろうと思えば、知ることは、けっして不可能ではないということ。

●そこで(私)

もしこの文章を読んでいる(あなた)が、ここでいう「ためこみ屋」で、
ケチであるなら、(つまりそういう症状が出ているなら)、一度、自分の心の中を
のぞいてみるとよい。

あなたも、(私であって私でない部分)に気がつくはず。

そして……。

こうして(私)の中から、(私であって私でない部分)を、どんどんと取り除いて
いく。
ちょうどたまねぎの皮をむくように、だ。
そして最後に残った部分が、(私)ということになる。

ただそのとき、恐らくあなたは、(私)がほとんどないことを知るかもしれない。
(私)というのは、たまねぎにたとえるなら、たまねぎの中心部にある、細くて
糸のようなもの。
あるいはもっと小さいかもしれない。
つまりそれくらい、(私)というのは、頼りない。

●スズメはスズメ

だから、さらに……。
ためしに、庭に遊ぶスズメを見てみたらよい。
スズメたちは、恐らく、「私は私」と思って行動しているつもりかもしれない。
しかし北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメ。
どこかで連携しているというわけでもないのに、まったく同じような行動パターンで、
同じように行動している。
もちろんどこかで共通の教育を受けたということでもない。
が、同じ。
私たち人間から見れば、同じ。
つまり(私)というものが、どこにもない。

同じように、アメリカ人も日本人も、人間は人間。
それぞれ「私は私」と思って行動しているが、視点を変えれば、まったく同じような
行動パターンで、同じように行動している。

スズメの中に(私)がないように、実は、私の中にも、(私)というのは、ほとんどない。
「まったくない」とは思わないが、ほとんど、ない。

●ある生徒

たとえばケチな人は、ケチであるということに気がつくか、どうか?
少し話はそれるが、私の生徒のことで、こんな経験をしたことがある。

ある生徒(高2男子)が、私にこう言った。
「生徒会の仕事をするようなヤツは、バカだ」と。
そこで私が理由をたずねると、こう言った。
「そんなことをしていたら、受験勉強ができなくなる」と。

私はその言葉を聞いて、しばらく考え込んでしまった。
たしかにその生徒の言っていることは正しい。
有名大学への進学を考えるなら、1時間でも、時間は惜しい。
生徒会の仕事をしていたら、勉強の時間が犠牲になる。
それはわかる。
しかしその生徒は、受験勉強という、もっと言えば、受験制度の中で、
踊らされているだけ。
もちろんその生徒は、それには気づいていない。
「私は私」と思って、自分で考え、自分で行動している。

さらに言えば、ではその生徒は、何のために勉強しているのか。
何のために高校へ通っているのか。
そういうことまで考えてしまう。

つまりこうした疑問は、そっくりそのままケチな人についても言える。
その知人は、何のためにお金をためているのか。
何のために生きているのか。
そういうことまで考えてしまう。

●私を知る

ではどうすれば、その知人は、どうして自分がそうであることを知ることができるか。
その方法はあるのか。
その知人のことを心配して、こう書いているのではない。
その知人は、その知人でよい。
しかしそれを考えることによって、私たちは自分を知る手がかりを得ることができる。
そのために、その方法を考える。

まず、その知人は、自分がケチであることを知らねばならない。
これが第一の関門。
しかし実際には、そういう人にかぎって、自分がケチとは思っていない。
「自分は堅実な人物」とか、「他人は浪費家」と思っている。
人生観、さらには哲学まで、その上に、作りあげてしまう。
さらに『類は友を呼ぶ』の諺(ことわざ)どおり、そういう人たちはそういう人たちで、
ひとつのグループを作ってしまう。

だからますます「私」がわからなくなってしまう。

言い換えると、私たち自身も、実は同じことをしているのに気がつく。
(私であって私でない部分)が中心にあって、そのまわりを、たまねぎの皮のような
ものが、つぎつぎと重なっている。
そしてつきあう相手も、自分にとって居心地のよい人を選ぶ。
たとえば冒頭に書いたように、私自身はケチではないから、ケチな人間が好きではない。
ケチケチした人のそばにいるだけで、息苦しさを覚えることもある。

しかしそれは本当の(私)なのか?

ケチに気づくことも難しいが、自分がケチでないことに気づくのも難しい。
どちらであるにせよ、どちらがよいということにもならない。
先の高校生について言うなら、現代という社会は、そのほうが、生きやすい。
たしかに「生徒会などをしているヤツは、バカだ」ということになる。

●作られる(私)

で、そういう自分であることに気がついたとする。
つぎに私たちは、いつ、どこで、どのようにしてそういう(私)ができたか、
それを知る。
これが第二の関門。

私はそのためには、精進(しょうじん)あるのみ、と考える。
昨日の私より、今日の私を賢くすることしか、方法はない。
人は、より賢くなって、それまでの自分が愚かだったことを知る。

専門家に相談するという方法もあるかもしれないが、そのレベルまで到達した
専門家をさがすのは、たいへん難しい。
へたをすれば、どこかのカルト教団の餌食(えじき)になるだけ。
占いや、占星術、さらにはスピリチュアルなどというわけのわからないものを、
押しつけられるだけ。

そこで精進。
つねに勉強し、つねに視野を広める。
手っ取り早い方法としては、心理学や哲学を学ぶという方法もある。
が、何よりも大切なことは、自分で考えるということ。
考える習慣を身につけること。
その習慣が、やがて(私)の発見へとつながっていく。

●(私)を知るメリット

もっとも(私)を知ったところで、それがどうした?、と考える人もいるかも
しれない。
(私)を知ったところで、直接、何らかの利益につながるというわけではない。
しかし(私)を知ることによって、私たちは、そこに生きる意味を見出すことができる。
それがわからなければ、反対に、もう一度、庭に遊ぶスズメたちを思い浮かべて
みればよい。

スズメはスズメ。
同じように、人間は人間。
もしそうなら、私たちはスズメと、どこもちがわないということになってしまう。
言い換えると、私たちは(私)を知ることによってのみ、生きる意味そのものを
知ることができる。
そこに生きる意味を見出すことができる。
(私)があって、私たちははじめて、生きることになる。
その実感を手に入れることになる。
そしてそれがわかれば、まさに『朝に知れば、夕べに死すも可なり』ということになる。
「朝に真理を発見できれば、夕方に死んでも悔いはない」という意味である。
もっと言えば、無益に100年生きるより、有益に1日を生きたほうが、よいという
意味である。

(私)を知るということは、そういうことをいう。

●再び、「ためこみ屋」

「ためこみ屋」の人にしても、「ケチ」と周囲の人にうわさされるほどの人にしても、
何らかの心のキズをもった人と考えてよい。
またそう考えることによってのみ、そういう人たちを理解することができる。
(あえて理解してやる必要はないのかもしれないが……。)

しかし先にも書いたように、あなたや私にしても、みな、何らかのキズをもっている。
キズをもっていない人は、いない。
ぜったいに、いない。

大切なことは、まずそのキズに気がつくこと。
そうでないと、あなたにしても、私にしても、いつまでもそのキズに振り回される
ことになる。
同じことを繰り返しながら、繰り返しているという意識すらない。
ないまま、また同じことを繰り返す。

しかしそれこそ、貴重な人生、なかんずく(命)を無駄にしていることになる。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 ためこみ屋 ケチ
ケチ論 肛門期 フロイト はやし浩司 私論 私を知る)
(09年1月19日記)

Hiroshi Hayashi++++はやし浩司

●富めるときは貧しく……

++++++++++++++++++++

今の若い夫婦を見ていて、かなり前から
ハラハラしていたことがある。
どの夫婦も、目いっぱいの生活をしている。
仮に給料が30万円あったとする。
すると30万円、ギリギリの生活をしている。

今の若い夫婦は、貧しい時代を知らない。
知らないから、日本は昔から豊かで、
またこの豊かさは、いつまでもつづくと思っている。

しかし今回の大不況で、それが土台から、崩れ去った。
つまり若い夫婦がもっている常識が、土台から
崩れ去った。

+++++++++++++++++++++

私たち団塊の世代は、極貧の時代から、世界でも類を見ないほど豊かな時代へと、
言うなれば、地獄と天国を、両方経験している。
その(坂)を知っている。

が、今の若い夫婦は、それを知らない。
「すべてのものが、あるのが当たり前」という生活をしている。
結婚当初から、自動車や電気製品にいたるまで、すべて、だ。
そのため、いつも目いっぱいの生活をしている。
30万円の給料があったとすると、30万円ギリギリの生活をしている。
大型の自動車を買い、子どもを幼稚園に預けながら、それを当然の
ことのように考えている。

そういう意味で、貧しい時代を知らない人は、かわいそうだ。
そこにある(豊かさ)に気がつかない。

私たちの時代など参考にならないかもしれないが、あえて書く。

私たち夫婦も、自動車を買った。
HONDAの軽。
水色の中古車だった。
それでもうれしかった。

つぎにアパートに移り住んだ。
そこでのトイレは、水洗だった。
それまでは、部屋の間借り。
ボットン便所だった。
トイレの水を流しながら、においのしないトイレに感動した。

幼稚園にしても、当時は約5%の子どもは、通っていなかった。
2年保育がやっと主流になりつつあった。
たいていは1年保育。

さらにクーラーがある。
数年前、あまりの暑さに耐えかねて、私の家にもクーラーをつけた。
しかし使ったのは、ほんの一か月足らず。
かえって体調を崩してしまった。

が、今ではそういう(貧しさ)そのものが、どこかへ行ってしまった。
今の若い夫婦は、この日本は昔から豊かで、そしてこの豊かさは、いつまでも
つづくものと思い込んでいる。
しかしそれはどうか?

私たちは(坂)を知っている。
貧しい時代からの豊かな時代への(坂)である。
その(坂)には、上り坂もあれば、下り坂もある。
だから下り坂があっても、私は驚かない。
またその覚悟は、いつもできている。
「できている」というよりは、豊かな生活を見ながら、その向こうにいつも、あの
貧しい時代を見ている。

が、今度の大不況で、その土台が、ひっくり返った。
崩れた。
これから先のことはわからないが、へたをすれば、10年単位の、長い下り坂が
つづくかもしれない。
が、私が心配するのは、そのことではない。
こういう長い下り坂に、今の若い夫婦が、耐えられるかどうかということ。
何しろ、(あるのが当たり前)という生活をしている。
もしだれかが、「明日から、ボットン便所の部屋に移ってください」と言ったら、
今の若い夫婦は、それに耐えられえるだろうか。
「大型の車はあきらめて、中古の軽にしてください」でもよい。
「幼稚園は、1年保育にしてください」でもよい。

悶々とした閉塞感。
悶々とした不満感。
悶々とした貧困感。

これからの若い夫婦は、それにじっと耐えなければならない。

……と書くと、こう反論する人がいるかもしれない。
「それがわかっていたなら、どうしてもっと早く、言ってくれなかったのか」と。

実は、私たちの世代は、常に、若い夫婦に対して、そう警告してきた。
聞く耳をもたなかったのは、若い夫婦、あなたがた自身である。
スキーへ行くときも、そこから帰ってくるときも、道具は宅配便で運んでいた。
それに対して、「ぜいたくなことをするな」と言っても、あなたがたは、こう言った。
「今では、みな、そうしている」と。

スキーを楽しむということ自体、私たちの世代には、夢のような話だった。
しかしそれが、原点。
もっとわかりやすく言えば、生活の基盤。
今の若い夫婦は、スキーができるという喜びすら、知らない。
さらに言えば、私たちの世代は、稼いだお金にしても、そのうちの何割かは、
実家に仕送りをしていた。
私のばあいは、50%も、仕送りをしていた。

が、今、そんなことをしている若い夫婦が、どこにいる?
むしろ生活費を、実家に援助してもらっている(?)。

この愚かさにまず気がつくこと。
それがこれからの時代を生きる知恵ということになる。

『豊かな時代には、貧しく生きる』。
これが人生の大鉄則である。
同時に、こうも言える。
『貧しい時代には、豊かに生きる』。

「豊か」といっても、お金を使えということではない。
「心の豊かさ」をいう。
その方法が、ないわけではない。
この大不況を逆に利用して、つまり自分自身を見直す好機と考える。
その心の豊かさを、もう一度、考え直してみる。

偉そうなことを書いたので、不愉快に思っている人もいるかもしれない。
しかし私は、心底、そう思う。
そう思うから、このエッセーを書いた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
豊かな時代 貧しい時代 豊かさの中の貧しさ 貧しさの中の豊かさ)

Hiroshi Hayashi++++++++FEB09++++++++++はやし浩司

●貧しさの中の豊かさ

++++++++++++++++++

貧しいのに、損をしたことがないという人がいる。
損をすることに、たいへん警戒心が強い。
それこそビタ一文、他人のためには、出さない。
いや、出すこともあるが、いつも計算づく。
他人の目を意識したもの。
しかし小銭は出しても、いつもそこまで。
ケチはケチだが、自分ではケチとは思っていない。
「私は金がない」「私は賢い節約家」を口癖にする。

このタイプの人は、住む世界も小さいが、
それ以上に、心も狭い。
会って話をしていても、息苦しさを感ずるほど。

++++++++++++++++++

フロイト学説によれば、2〜4歳の肛門期に何か問題があると、ためこみ屋、
守銭奴、さらにはここでいうケチになりやすいという。
生活態度が防衛的で、その分だけ、自分の小さな世界に閉じこもりやすい。

一方、人は、損をし、その損を乗り越えることで、自分の住む世界を大きく
することができる。
損をする……というよりは、損得を考えないで行動する。
できれば無私無欲で行動する。

そのもっともよい例が、ボランティア活動ということになる。
ためしにあなたの近くで、ボランティア活動を進んでしている人がいたら、
その人と話してみるとよい。
そうでない人には感じない、心の広さを感ずるはず。

たとえば私の近所に、MRさんという女性がいる。
年齢は50歳くらい。
折につけ、ボランティア活動ばかりしている。
そのMRさんの家へ行くと、いつもスイスから来た夫婦がきている。
親類ではない。
親類ではないが、MRさんは、その夫婦の子ども(幼児2人)のめんどうをみている。
無料というより、その夫婦の親になりきって、めんどうをみている。
ことの発端は、スイスから来た夫婦の妻が、病気になったことだそうだ。
それが縁でたがいに行ったり、来たりするようになった。
今ではスイスから来た夫婦が、MRさんの家に住みついたような形になっている。

ほかに自宅を外国人に開放し、個展を開いてやったりしたこともある。

ほかに休みになると、外国まで行って、着物の着付けのしかたを指導している。
ときにそれが数か月から半年単位になることもあるそうだ。
しばらく見かけないと思っていたら、「カナダに4か月、行ってきました」と。
平気な顔をして、そう言う。

そういう女性は、輝いている。
体の奥から、輝いている。

が、そうでない人も、多い。
こうして書くのもつらいほど、住んでいる世界が小さく、超の上に「超」がつくケチ。
息がつまるほど、ケチ。

ケチといっても、何もお金の問題だけではない。
自分の時間や、体力を使うことにも、ケチ。
損になることは、何もしない。
まったく、しない。

が、そういう人ほど、外の世界では、妙に寛大ぶったりする。
反動形成というのである。
自分の心を見透かされないように、その反動として、反対の自分を演じてみせる。
が、もともと底が浅い。
浅いから、どこか軽薄な印象を与える。
一本の筋のとおった、哲学を感じない。

では、どうするか?

いつか私は、『損の哲学』について書いた。
損をするのは、たとえば金銭的な損であればなおさらそうだが、だれだって、避けたい。
そう願っている。
しかし損に損を重ねていると、やがてやけっぱちになってくる。
で、ここが重要だが、やけっぱちになったとき、それに押しつぶされるか、
それを乗り越えるかで、その人の人生観は、そのあと大きく変わってくる。

押しつぶされてしまえば、それだけの人。
しかし乗り越えれば、さらに大きな人になる。
そういう意味で、私は若いころ、Tという人物と知り合いになれたのを、
たいへん光栄に思っている。

いつかTについて詳しく書くこともあると思うが、ともかくも、あの人は、
損に損を重ねて、あそこまでの大人物になった。
何かあるたびに、「まあ、いいじゃねエか」と、ガラガラと笑っていた。

言い忘れたが、Tというのは、「xxx」と読む。
若い人たちは知らないかもしれない。
当時、日本を代表する大作家であった。
何度か原稿を書くのを横で見ていたが、一字一句、まるで活字のようなきれいな
文字を書いていた。

……というわけで、損をすることを恐れてはいけない。
大切なことは、その損を乗り越えること。
金銭的な損であれば、それをバネにして、さらに儲ければよい。
時間的な損であれば、その分だけ、睡眠時間を削ればよい。
体力については、それを使って損をするということは、ありえない。
ゴルフ場でコースを回る体力があったら、近所の雑草を刈ればよい。

こうして損を乗り越えていく。
が、それができない人は、自分の住む世界を、小さくしていくしかない。
つまらない、どこまでもつまらない人間になっていくしかない。

50代、60代になってくると、そのちがいが、よくわかるようになる。
その人の(差)となって、表に出てくるようになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
損の美学 損論 損得論 ケチ けち ケチ論 フロイト 肛門期)
(09年2月記)


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