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最前線の育児論                  

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【オーストラリア旅行】(2)

【チャンギ空港にて】

●日本のニュース

 チャンギ空港では、乗り継ぎのための時間が、4時間半もあった。
その間に軽い食事。
何本か、飲み物を口にする。

 テレビではアメリカのニュース番組をそのまま流していた。
しばし、それに見入る。

 フクシマの原発事故も、アメリカでは経済ニュース。
もっぱら経済的な視点で論じられていた。
「損失はいくら……」とか、「復興費はいくら……」とか、そんな話ばかり。
すでに世界では、チェルノブイリ、スリーマイルと並び、世界の三大原発事故に
並べ始めている。

 そのニュースを見ながら、こんなことを考える。
もし戦後、沖縄が香港になり、東京がシンガポールになっていたら、今の今も日本は、
押しも押されぬ世界の経済大国として君臨していただろう、と。

沖縄を香港化すべきだった。
東京をシンガポール化すべきだった。
今や東証に上場している外資企業は、1けた台。
10社もない。
一方、シンガポールには、数百社以上。
チャンギ空港は、ハブ空港として、世界の経済の中継地になっている。

ラウンジで知り合ったイギリス人は、イギリスから来て、ここシンガポールで
飛行機に乗り換え、オーストラリアに向かうということだった。
どうしてそれを羽田でしないのか?
羽田で乗り継がないのか?

航路的にも、(イギリス)→(北極)→(羽田)→(オーストラリア)のほうが、
短い。

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jpeg"
width="640" height="480" alt="DSC00036.JPG">

●日本vs外国

 シンガポールまで来ると、こう考える。
「何も、日本にこだわる必要はないのではないか」と。
ワイフも同意見。
世界の人たちは、もっと自由に、「国」を考えている。
EUを例にあげるまでもない。
言い換えると、日本も、外国をそういう目で見る必要がある。
「日本だ、外国だ」と、垣根を高くすればするほど、日本のほうが世界ののけ者に
なってしまう。

 わかりやすく言えば、日本で仕事がなくなれば、外国へ行けばよい。
外国で働けばよい。
そのあたりを、もっと気楽に考えたらよい。
ラウンジで会ったイギリス人の男も、そう言っていた。
親や兄弟は、オーストラリアに住んでいる。
が、自分の家族はイギリスに住んでいる。
たがいに行ったり来たりしている、と。

●A380

 目を覚ますと、アデレード上空まで来ていた。
眠ったのか、眠らなかったのか、よくわからない。
何かの夢を見たようだが、よく覚えていない。
シンガポールとメルボルンの時差は3時間。
私が目を覚ましたのを見ると、ワイフがこう言った。
「星空がきれいだった」と。

 星と言えば、南十字星。
サザン・クロス。
オーストラリアへ着いたら、真っ先にワイフにそれを見せてやりたい。

【メルボルンにて】

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/93/img4cf8fa36zik3zj.jpeg"
width="800" height="600" alt="メルボルン2.jpg">

 空港からはデニス君の車で市内に向かった。
そのままインターナショナルハウスへ。
ボブ君が、ゲストハウスを予約しておいてくれた。
荷物を置いて、そのままデニス君の家へ。
車で1時間ほど。
カーネギーという地名。

 ……仙台市のことを「杜(もり)の都」という。
豊かな街路樹に覆われ、夏でも涼しげな森の影をつくってくれる。
が、もしあなたがメルボルンを見たら、「杜」の概念が変わるだろう。
とくにこのローヤルパレード通りを見たら、変わるだろう。
どう変わるかは、ここに書けない。
書けないが、変わるだろう。

昔からこう言う。
メルボルンの中に、公園があるのではない。
公園の中に、メルボルンがある、と。

 カーネギーでは、数時間を過ごした。
その間、ワイフは、2時間ほど、友人の家で眠った。
私たちは、つまりデニスとボブと私は、いろいろ話した。
で、ワイフが起きたのをみはからって、近くの日本料理店へ。
最近開店したという。
私とデニスは、オーストラリア式の天丼。
ボブは、オーストラリア式のうな丼。
ワイフは、これまたオーストラリア式の牛丼を食べた。

 どれも日本的というだけで、日本のものとはちがう。
また値段にしても、天丼よりうな丼のほうが安かったのには、驚いた。
AS$で、8〜9ドル前後だった。
「このあたりには、モナーシュ大学の留学生が多く住んでいる。
だからこういう店が多い」と。

 通りには日本料理店のほか、ベトナム料理店、マレーシア料理店、
中華料理店などが並んでいた。
帰りに私とワイフは、八百屋で、果物を何種類か買った。
イタリア風(ギリシャ風?)の八百屋で、一種類ずつ大きなコーナー
に、山積みにして売っていた。

●ワイフの印象

 ワイフはメルボルンの街並みを見ながら、「ディズニーランドみたい」と言った。
1度や2度ではなく、何度もそう言った。
家々の形や色、それがディズニーランドのそれみたい、と。

 人によってメルボルンの印象はちがうだろう。
「おもしろい見方だな」と私は思った。
が、そのうち私も、そういう目で見るようになった。
「たしかにそうだ」と。

 家々の中には、子どもが喜ぶようなアトラクションこそないが、無数の見知らぬドラマ
が詰まっている。
たとえば車の中から見かける電車にしても、バスにしても、異国風というよりは、ディズ
ニーランドのそれ。
カラフルで、それが秋の白い陽光を受けて、まぶしいほどに輝いていた。

●インターナショナル・ハウス

 イギリスのカレッジ制度の説明をするのには、時間がかかる。
日本で考える「寮」とは、趣をかなり異にする。
また日本で考える「寮」をそのまま当てはめて考えてはいけない。

簡単に言えば、「ハリーポッターの世界」。
全寮制であると同時に、カッレジ自体が大学の機能を分担する。
ほかのカレッジから学生がやってくることもある。
もちろんその反対のこともある。

食事は毎回、フルコース。
学生たちはローブと呼ばれるガウンを身につけ、食事に臨む。
もちろん正装。
当時は、そうだった。

 が、その後オーストラリアも、変わった。
政権が変わったり、不況を経験したりした。
「予算が削られた」というような理由で、簡略化された。
が、何よりも変わったのは、男女共学になったこと。
若い女子学生が多いのには、戸惑った。
私たちの時代には、男子専用のカレッジだった。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/19/imga2c01d9azik6zj.
jpeg" width="640" height="480" alt="DSC00124.JPG">
(友人の部屋だった、その前のテラス。いろいろな思い出がしみこんでいます。)

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/20/img4bddf402zikczj.
jpeg"
width="640" height="480" alt="DSC00083.JPG">
(学生寮。1970年当時は、下の階に副寮長のショール夫妻が住んでいました。)

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/17/img94f8c25czikfzj.jpeg
"
width="640" height="480" alt="DSC00105.JPG">
(今は、ディミック・ルームと呼ばれている食堂。手前がローテーブル。)

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/18/img962c794fzik2zj.
jpeg"
width="640" height="480" alt="DSC00111.JPG">
(ハウスの中庭)

●ハイテーブル

 私は寮長の横、つまりハイテーブルで食事をすることになっている。
食堂は、大きくハイテーブルとローテーブルに分かれる。
数段高い位置にあるのが、ハイテーブル。
アンダーグラジュエイト(一般大学生)が座るのが、ローテーブル。

もしそれもよくわからなかったら、映画の1シーンを思い出してほしい。
そこはまさに「ハリーポッターの世界」。

 そういう意味では、あの映画はカレッジ制度を理解するのには、役立つ。
メジャーな教育は、大学構内の中で受ける。
それ以外のマイナーな教育は、カレッジで受ける。
カレッジでの教師はチューターと呼ばれる。
そのチューターたちが、アンダー・グラジュエイト(大学生)の教育をする。

●1970年

 1970年。
大阪で万博が開かれた年である。
その年に私はメルボルンに向かった。
正田氏(美智子皇后陛下の父君)が、「どこの大学にしたいか」と聞いた。
私は迷わず、「メルボルン大学」と答えた。
すかさず正田氏が聞いた。
「どうしてだ」と。

 私はさらに胸を張ってこう答えた。
「日本からいちばん遠いからです」と。

 その当時の人口は、300万人。
そんなメルボルン市にも、日本人の留学生は、私1人だけ。
通産省から1人、研修生が来ていたが、彼は数か月で帰ってしまった。

 当時の日本人は、それなりの人物による身元引き受け人がいないと留学が
できないしくみになっていた。
その身元引き受け人に、正田氏がなってくれた。

●アルバイト

 日本円に換算すると、当時の寮費は、月額20万円前後。
1ドルが400円の時代だった。
また大卒の初任給が、やっと5万円に届いたころ。
往復の飛行機料金(羽田・シドニー間)が、42万円前後。
それだけでも、私には気が遠くなるような金額だった。

 が、アルバイトができなかったわけではない。
日本領事館の井口氏や、M物産の支店長らが、そのつどアルバイトを回して
くれた。
たいていは観光案内。
日本からやってくる政治家や実業家を、案内して回る。
その中には、たまたまハイジャック事件で北朝鮮に渡った、山村運輸政務次官もいた。
あの事件のあと、山村氏は、メルボルンにしばらく身を隠していた。
理由は、聞いていない。

なおアルバイト料はあとから受け取ったが、それよりも日本料理を腹いっぱい食べ
られるのが、何よりもうれしかった。
当時、コリンズ通りだったと思うが、路地を入ったところに一軒だけ、日本料理店が
あった。
当時の日本料理は、それこそひとつが、?万円を超えるほど、高級料理だった。
まぐろの刺身にしても、そのつどコック長が、マグロをそのまま席へもってきて、
どこを食べるか聞いた。

 私はすぐその料理店のみなと、親しくなった。

●ゲストルーム

 ゲストルームは、ハウスの裏手にあった。
部屋は4ルーム。
2つのベッドルームのほか、キッチンや談話室が備わっていた。
実のところ、私も、そんなところにゲストルームがあるとは、知らなかった。
ハウスには、毎週のようにノーベル賞級の学者がやってきて、私たちといっしょに
生活した。
そうしたゲストたちが、そこに泊まっていた。
が、今回は、私たちの番。

いつもそう思うのだが、オーストラリアでは、すべてが大ざっぱ。
シャワーにしても、ザーッと水が出るというよりは、ドカーッと出る。
タオルに石鹸をつけて体を洗おうとしても、石鹸のほうが先に落ちてしまう。
こちらの生活に慣れるには、それなりの時間がかかる。

●家具

 家具も、大ざっぱ。
日本的なこまかい細工はない。
ないかわりに、しかしどれも本物の木材を使っている。
ベットの横に小さな小物戸棚があるが、ワイフは動かすことすらできなかった。
ドシンと重かった。

「100年先、200年先を考えて、こういう家具を使っているのだね」と私が言うと、
ワイフも、「そうねえ」と。
どこか感慨深そうだった。
年数がさらに重みをます。

 このゲストルームにしても、100年近く前に建てられたもの。
外観は古いが、あちこちに歴史的な重みを感ずる。
加えて、独特の、あのにおい。
白人の体臭というか、なめし皮のにおい。
床のジュータンと、乾いたペンキのにおい。
そのにおいに包まれると、そのまま41年前にタイムスリップしてしまう。

●食事

 夕食は6時半から。
この時刻は、41年前と変わっていない。
私とワイフは、寮長(ウォードン)の横に並んで座った。
たまたまホッケーで活躍した女子学生たちも、ハイテーブルに並んだ。

 最初のスピーチで、寮長が私たちのことを紹介した。
「41年ぶりに、この2人の紳士がこのハウスに泊まります」と挨拶すると、食堂から
拍手がわいた。
うれしかった。
私の名前も写真も、ハウスの記録の中に残っていた。
うれしかった。

●話題

 「日本」というと、すぐ「津波」と「原発事故」の話になる。
私は冗談を交えながら、話題をそらした。
寮長も、対面して座った女子学生たちもそれを知って、話題を変えた。

 不思議なものだ。
ハウスに入ったとたん、ワイフにまで英語で話しかけている。
へたくそな英語の上に、あのオーストラリアン英語。
わかってくれたのかどうかはわからない。
そのつどワイフも、英語で答えてくれた。

 このハウスでは、アジア人でも外国人。
日本人的な顔をしていても、外国人。
ワイフもその外国人に見えた。
……というか、日本語と英語を同時に話すのは、疲れる。
本当に疲れる。

●金沢大学

 私が通った母校。
金沢大学という大学は、以前は、城の中にあった。
石川門をくぐって橋を渡ると、兼六園。
私は4年間、その兼六園を通り、大学へ通った。

 その金沢大学は、現在、金沢市のはずれにある「角間」というところに移動している。
見るからに新制大学。
どこにでもあるような新制大学。
味も素っ気もない。

移動した理由は、金沢城址を、観光地にするため。
「お金(マネー)」がほしいため。
まだじゅうぶん使える学舎は、跡形もなく取り壊された。
そのあとに、城の城壁らしきものが復元された。
が、これこそ天下の愚作。
天下の愚作と言わずして、何という。

 ヨーロッパでもそうだが、オーストラリアでも、大学を市の中心部に置く。
「学府」という言葉は、そこから生まれた。
つまり「知」の殿堂。
それが大学。
その大学が、市の知性を先導する。

 メルボルン大学にしても、そうだ。
メルボルン市の北側に隣接し、大学全体が深い緑の森に覆われている。
メルボルン市にあっても、もっとも美しい場所と言えば、パークビル通り。
左右を広大な公園に挟まれている。
観光名所にもなっている。

 メルボルンだけではない。
アデレードも、そうだ。
アデレード大学は市の中心部に隣接している。
それを取り囲むように、神学校や教育単科大学などがずらりと並ぶ。

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jpeg"
width="640" height="480" alt="DSC00210.JPG">

●中川善之助氏

 実は大学を取り壊し、観光地にするという話は、私が学生のころからすでにあった。
が、当時の学長であった中川善之助氏が、それにがんとして反対した。

 学生数は4000人。
その学生が金沢市に落とすお金は、莫大なもの、と。

 が、お金だけではなかった。
何かにつけ、市の行事は私たち学生が主導した。
祭りはもちろん、コンサート、催し物、講演会などなど。
ついでに学生運動もした。
それだけ学生の存在感が大きかった。
……というか、そのときはそれに気づかなかった。
気づいたのはこの浜松市に住むようになってから。

 この浜松市は、恐ろしく文化性のない町だった(失礼!)。
静岡大学の工学部もあったはずだが、その存在感がまるでなかった。
祭りにせよ、静岡大学の学生が何かをしたという話は、今に至るまで耳にしたことがない。
だから……というふうに言い切るのも失礼なことだが、この浜松市は、どこかヤクザぽい。
知的レベルが(?)(失礼!)。
金沢と比較してみると、それがよくわかる。

 たとえば金沢では夜ともなると、あちこちの公民館から、三味線や鼓(つづみ)、謡
(うたい)の声が聞こえてきた。
大学の教授たちが開く講演会は、毎晩のようにあちこちで開かれた。
それらが全体として、金沢市の「品格」を支えていた。

●メルボルン大学

 メルボルンを訪れた人は、メルボルン大学のもつ広大なキャンパスに驚くだろう。
周辺には、中世の城を思わせるカレッジが、ズラリと並んでいる。
そしてその外側を、学生たちが住む学生寮や家々が取り囲んでいる。
それだけではない。
そのメルボルン大学を囲むように、総合病院や女性病院、子ども病院、さらには、
いくつかの単科大学が林立している。

 メルボルン市を見るかぎり、むしろ商業地域のほうが、小さく見える。
フリンダース駅周辺には、高層ビルも多いが、それでもメルボルン大学のもつ存在感
は、大きい。
待ちを歩く若い人たちと言えば、大学生。
その大学生たちが、メルボルン市を先導している。

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width="640" height="480" alt="DSC00394.JPG">

 で、この浜松市はどうか。
現在、市内は、若者たちに占領されてしまっている。
以前は仕事を終えたサラリーマンや労働者が、多く立ち寄った。
が、今は、若者たち。
怪しげな雰囲気を漂わせた男や女たち。
一見して、そのレベルとわかる男や女たち。

 それを金沢市に住む友人に話すと、こう言った。
「金沢も似たようなものだよ」と。
学生が街にいたころは、まだ華やかだった。
が、今ではあの香林坊(繁華街)ですら、ゴーストタウン化している。
 
●天下の愚作

 金沢大学が角間に移設されると聞いたとき、私はまっさきに金沢の友人(弁護士)に
聞いた。
「どうしてだ?」と。
するとその友人はこう言った。
「県知事が、金大(金沢大学)出身でないからね」と。
つまり金沢大学に愛着がないから、と。

 わかりやすく言えば、県知事は、「金儲け」を優先させた。
金沢大学を追い出し、そのあとに城を復元する。
観光地として売り出す。
魂胆は見え見えというか、それが目的だった。

 で、結果はどうなったか。
金沢市の観光収入は、それで増えたのか?
NHKの大河ドラマの影響で一時的に観光客はふえたものの、今はその反動に苦しんで
いるという。
それに観光地といっても、城跡に城壁を連ねただけのもの。
観光客にしても、石川門をくぐったあと、一瞥(べつ)してそのまま外に出てしまう。

 が、それ以上に金沢市の失ったものは大きい。
金沢市は「知」を失った。
わかりやすく言えば、どこにでもあるような俗っぽい町になってしまった。

 ……同窓会に出るたびに、私たちはこう言う。

「金沢大学は北海道大学についで、全国第二の広いキャンパスを誇った。
それがぼくたちの誇りでもあった。
が、今は、見る影もない。
どこにでもある新制の私立大学のようになってしまった。
が、いちばん損をしたのは、金沢市自身ということになるよ。
この先、100年、200年をかけて、さらに俗っぽい町になる。
そのほうがよっぽど損なんだがね」と。

 なお金沢大学が角間に移ってからというもの、私は一度も角間を訪れていない。
同窓生の中でも、訪れた人は、ほとんどいない。

 ……それでも「はやし(=私)の言うことはおかしい」と思うなら、一度、
メルボルン大学を訪れてみることだ。
あなたもその存在感に圧倒されるはず。

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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●原発事故(日本沈没)

 恐ろしいことが起きつつある。
政府は、「落ち着いて」とか、「冷静に」とか言っている。
落ち着け?
冷静になれ?
しかし落ち着いているばあいではない。
冷静になれるばあいではない。
アメリカ・ホワイトハウス報道官でさえ、「緊急事態」という言葉を使っている。
「緊急」というのは、「緊急」。
それ以上でも、またそれ以下でもない。

 テレビに釘付け。
じっと見入る。
襲い来る不安感。
政府の役人や東京電力の職員の一言一句に、何も聞き漏らさないと、神経を集中する。
が、どれもおかしい?

まずあのED官房長官。
役人の書いた作文を読んでいるだけ。
それ以上の知識は、ゼロ。
記者の質問には何一つ、答えられない。
質問されそうになると、「私からは以上です」と言って、逃げてしまう。
答えられないばかりか、今朝は、こんな珍説も。

FD官房長官は、こう言った。
「マスコミの無責任は発言は、国民の不安を増大させるだけ。
謹んでほしい」と。

それに対して、すかさず1人の記者が質問した。
「どこのマスコミか?」と。
が、FD官房長官は、それに対して、タジタジ。
FD官房長官の、その発言こそが、「無責任な発言」ということになる。

 保安院の役人にしても、そうだ。
イチバン最初に登場してきた役人は、「マイクロ・シーベル」の意味すら知らなかった(?)。
記者に質問されると、一瞬、二瞬、戸惑った表情をして見せた後、「あとで報告します」と。
さらにこんなバカげた返答も。

 福島第一原発の北、20キロに、女川原発がある。
そこでは8マイクロ・シーベル・の放射能が検出された(14日)。
それについて、「この放射能は、福島第二原発からのものと思われます。
8マイクロ・シーベルは、まったく心配ない数値です」と。

 バカヤロー!
バカ、バカ、バカ!
大バカ!

 あのね、放射能の濃度というのは、距離の二乗に反比例するの!
仮に20キロとするなら、20000メートル。
20000x20000=400000000=4億!
つまり放射能の発生元の1メートル四方では、その4億倍の放射能が漏れたことになる。
もちろん風向きにもよるが、実際には、それ以上とも考えられる。
たまたま南風に乗って、女川原発に直行したと考える方が、無理。

8マイクロx4億が、どういう数値になるか、自分で計算してみらたよい。
(この計算によれば、発生元では、32億マイクロシーベル、つまり320万ミリ
シーベル。
とんでもない放射能が漏れ出たことになる!)
……と思っていたら、またまた同じ発言。

今度は、福島第二原発から、100キロ離れた、東海村原子炉周辺で、5マイクロ・
シーベルの放射能が検出された。
それについても、同じ意見。
「(福島第二原発から流れてきた放射能と思われるが)、この程度なら、心配ありません」
(NHKテレビのコメンテイター)と。

 今度ほど、私は科学者(?)の脳みそを疑ったことはなかった。

 ド素人の官房長官。
役人根性丸出しの東京電力の社員たち。
深刻さを、あえて覆い隠そうとする科学者たち。
「こんな連中が、日本の安全を担っていたのか」と、私は唖然とした。

 が、不測の事態は、不測の事態を呼ぶ。
人為的ミスが、それに追い討ちをかける。
電源機が燃料切れで、2時間も停止していた。
こうして1号基、3号基、2号基とつづいて爆発。
今は、4号基まで、爆発。

 1号基が爆発したとき、「ほかの原発はだいじょうぶです」と、確か、言っていたぞ!
そのとき2号基、3号基、4号基も併せて、対策を講じていれば、こんな大惨事には
ならなかったはず。
いいか、爆発したこと自体、大惨事!
緊急事態!

 私なら総理大臣なら、半径100キロ以内の人たちに、避難命令を出す。
福島第二原発から東京まで、直線距離にして、170キロ。
東京だって、あぶない。

 が、管総理は、こう言った。

「関係者は、命がけで、懸命な作業をしています」(記憶、3月15日)と。
前回のときは、「東京電力に、任せるしかない」というようなこと言っていた。

 だから、どうなの?
それがそれが、どうしたの?
私には責任逃れの詭弁にしか聞こえなかった。

 こういうときほど、ものごとがすべて裏目、裏目と出る。
まるでドミノ倒しのように、それがつづく。
日本の経済も、大きく揺らいだ。

株価は大暴落。
円は急上昇。

円が急上昇したのは、円キャリーの逆流が始まったため。
このあとやってくるのは、国家破綻(デフォルト)。
ハイパーインフレ。
わかりやすく言えば、札が紙くずと化す。

そこで日銀は、昨日(15日)、15兆円のお金を市中にバラまいた。
日本の心臓に、電気ショックを与えた。
メチャメチャな対策としか言いようがない。
ないが、この際、しかたない。
死ぬか、生きるか?

 私とて、日本人。
福島第一原発が、このまま静かに収まってくれればよい。
心から、そう願う。

 が、このザワザワとした不安感を、払拭することができない。
このままでは、この日本は、本当に沈没してしまう!

2011/03/15

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●東日本・大地震(14:46分、M8・8)(改)

+++++++++++++++++++++

午後2時40分すぎ、東日本を巨大地震が襲った。
私はそのとき教室にいて、その日のレッスンの準備
をしていた。
教室が揺れ出したのは、ワイフがちょうど席を
立ったときのことだった。
階下から子どもの声がしたので、それを迎えに
いくためだった。

「おい、地震だ」と私が声をかけると、ワイフが、
「あなたが揺らしているのでしょう?」と。
「ちがうよ、ホラ!」と。
机の上の電気が、ユラユラと揺れていた。
壁にかかった額縁や時計が、ユラユラと揺れていた。
それを見て、ワイフは黙った。

沈黙が流れた。
10秒・・・20秒・・・。
かなり長い揺れだった。
実感としては30秒以上もつづいた。
「これは大きな地震だ」と、直感でわかった。
「東京か・・・ちがう。もっと遠くだ・・・そうだ」と。
横揺れが長くつづくというのは、そういう地震をいう。

私が教室の外へ飛び出すと同時に、生徒が1人、靴を
脱いで、中へ入っていった。
私はその子どもを抱きかかえると、階段をおりた。
「靴がない」と子どもが暴れた。
が、私はかまわず下へおりた。

(2011年3月11日)

+++++++++++++++++++++

●福島第一原発

 3月11日の夜から、テレビの報道にくぎ付け。
ほぼ徹夜。
今朝もまた朝からテレビにくぎ付け。
昼過ぎ、ワイフと買い物。
帰ってきてからも、またテレビにくぎ付け。

息が止まる。
涙が出る。
体が震える。
「これが私たちの国か」と思う。
思うたびに、体を鋭い不安感が貫く。
こわい。
恐ろしい。
ふと油断すると、放心状態。
頭を振って、また画面を見つめる。
その繰り返し。

が、今は、福島第一原発事故。
午後3時30分過ぎ、爆発事故が起きた。

 時刻は、午後6時少し過ぎ。
たった今、(経済産業省原子力安全)保安院の職員による会見が
終わったところ。
が、内容は、「わからない」「調査中」と。
午後3時30分過ぎに爆発があって、午後6時に、わからない?
2時間半もたって、「調査中」とは!
電話が無理なら、無線電話一本ですむ話。
それすらしていない!
不安感が怒りに変わる。

●最悪

 それにしても頼りないのが、ED官房長官。
緊迫感がまるでない。
ヌボーッとした言い方が、かえってイライラ感を誘う。
言うことは、いつも同じ。
「落ち着いてください」「風説にまどわされないように」と。
こんなバカげた会見を聞くために、テレビを見ているのではない。

 万が一、(すでにかなりの量の放射性物質が放出されているようだが)、
放射能漏れということになったら、ことは最悪。
あのチェルノブイリで起こった事故と同じものが、この日本で起こることになる。
へたをすれば、東北地方には、人はだれも住めなくなる。
10キロとか、100キロの範囲ではない。
1000キロ単位で、人が住めなくなる。
(福島から東京まで、約170キロ。
東京から浜松まで270キロ。
グーグルマップで計測。)
そういう深刻さが、まるでわかっていない。

●心配

 最悪の地震。
まだ何とかなる。
その「最悪」がわかればよい。
最悪から、未来に向かってはいあがることができる。
たとえば青森市は昨日は、全域にわたって停電していた。
が、翌日の今日は、電力が戻った。

天災は、経済活動には、ほとんど影響を与えない。
それが今までの経済界の常識だった。
しかしこれほどまでの天災は、例外。
加えて原子力発電所の事故は別。
日本の経済に、決定的なダメージを与える。
そうでなくても、日本経済は薄い氷の上。
いつ何どき崩壊しても、おかしくない。
「こんなときに、金(マネー)の心配?」と思う人もいるかもしれない。
しかし日本全体への影響となると、深刻。
この先、10年後、20年後にわたり、深刻な影響を与える。
あるいは日本はそのまま再起不能になってしまう。

 もし今度の原子力発電所の事故が、さらに深刻なものになれば、万事休す。
日本の国家破綻(債務超過=デフォルト)は、確実。
「時間の問題」と言われた、その「時」がやってくる。
たった今の報道によれば、トヨタ自動車は、14日から、すべての操業を停止する
と発表した(3月12日19:30)。
すでにその「時」が始まった。

●希望

 ・・・先のところまで書いて、今日(13日)になった。
福島第一原子力発電所の第1号機は、今のところ落ち着いているという。
その代わり、今度は第3号機が、おかしくなり始めたという。
まだまだ気が抜けない。
が、昨日のような緊張感はない。
・・・というか、疲れてしまった。

 「こんなことがあるのか?」と、そのテレビの報道を見ながら、つど思う。
疲れを感じたとたん、現実感がそのまま薄れていく。
その下には、無数の人たちがいて、悲しみにうちひしがれている。
その悲しみが薄れていく。
ただ茫然としたまま、画面だけを見つめる。
こんなことを考えてはいけないということはよくわかっている。
しかしどうしても、考えてしまう。

「もし、同じような大津波が、この浜松を襲ったら、どうなるか。
私の家はだいじょうぶだろうか」と。
しかし明日は我が身。
どうしても、結論はそこへ行ってしまう。
つまり考えが、堂々巡りしてしまう。
先へ進まない。

●終わりに・・・

 今回の大地震、それにつづく大津波。
それがどういうものであったかは、もう少し時間がたたねばわからない。
政府もみな、関係者は今、懸命の活動をしている。
「がんばってください」とだけしか言いようがない。
手伝いたくても、どうしようもない。
テレビ局によっては、すでに募金活動を始めたところもある。
もう少し様子をみたあと、協力できることは、しよう。
・・・と心に決める。

 3日ぶりに救出された男性(80歳くらい)が、こう言った。
「私は、チリ津波も経験しています。
再建できますよ」(テレビ報道)と。
その笑顔が、さわやかに見えた。
プラス、それを聞いて、思わず、涙がこぼれた。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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