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はやし浩司
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はやし浩司

☆☆☆☆ 子育て最前線でがんばる、お父さん、お母さんのための、育児マガジン ☆☆☆☆
  6月  24日号
いつもご購読、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。


Nr.1207号
6月1日現在

●毎週・月・水・金発行 ●はやし浩司のメイン・サイトは、はやし浩司より

近所を散歩しながら(09年5月)
最前線の育児論                  

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●退職後の「?」(When we retire the jobs)


+++++++++++++++++


今朝、古いラジオを戸棚から、取りだした。
久しぶりにラジオを聴いた。
俳句についての講座の番組だった。
その中の特選作……。


ひとつは、「給料運搬人……」なんとかというもの。
もうひとつは、「光陰矢の如し……」なんとかというもの。
ほかにもいろいろあった。


共通していたのは、どれも長い間のサラリーマン勤めを終えた
男たちや、それを迎える妻たちの、どこか悲哀感の漂う
俳句だったということ。


ぼんやりと聴きながら、「そういうものかなあ?」
「そういうものでもないような気がする」と、
頭の中で、いろいろな思いが交錯するのを感じた。


+++++++++++++++++


私は俳句については、まったくの素人。
自分で作ったことは、あまりない。
が、どれもすばらしい俳句だった。
それはよくわかった。


で、私が気になったのは、俳句のほうではない。
その批評のほう。
何と呼んだらよいのか。
「俳句の先生」、それとも「指導者」?
「コメンテイター」?
要するに、視聴者からの俳句を選定し、批評を
加える人(女性)。
その人(女性)が、そのつど、こう言っていた。


「これからは、ゆっくりとお休みください」
「長い間、お勤め、ごくろうさまでした」
「退職後は、思う存分、お遊びください」などなど。


その人(女性)は、「私もこの年齢になり、(退職する人たちの気持ちが)、
理解できるようになりました」というようなことも
言っていた(以上、記憶によるものなので、内容は、不正確)。


しかし退職者というと、若い人たちは、どうしてそんなふうに、
とらえるのか。
「退職者は、こう思っているはず」という『ハズ論』だけが
先行している?
私はそう感じた。


とくに気になったのは、「退職後は、思う存分、お遊びください」という言葉。
私はその言葉を聞いたとき、若い人たちが、私たちの
世代を、そのように見ているのかと、がっかりした。


言うまでもなく、私もその世代の人間の1人。
しかし「遊びたい」という気持ちなど、みじんもない。
「遊べ」と言われても、遊ぶ気持ちにはなれない。
……だからといって、その人(女性)を責めているのではない。
それが世間一般の常識的な意見ということは、私にもわかっている。
それに若いときには、私もそう考えていた。
「退職したら、あとは悠々自適の隠居生活」と。


が、今はちがう。
「遊ぶ」ということに、強いむなしさを覚える。
またそんなことで、残り少ない自分の人生を、無駄にしたくない。


もちろん人、それぞれ。
退職の仕方も、人、それぞれ。
退職後の考え方も、人、それぞれ。
もちろん過ごし方も、人、それぞれ。
100人いれば、100通りの考え方がある。
退職の仕方がある。
私の考え方が正しいというわけではない。
中には、「遊びたい」と考えている人がいるかもしれない。
いても、おかしくない。


それはわかる。
しかし……。
私たちが求めるのは、そしてほしいのは、(怠惰な時間)ではない。
遊ぶための時間ではない。
(退職後の生きがい)、それがほしい。
(仕事)でもよい。
が、遊ぶための時間ではない。
だいたい遊ぶといっても、お金がかかる。
それに(遊ぶ)ということには、答がない。
「だからどうなの?」という疑問に対する、答がない。


繰り返す。
「遊んだからといって、それがどうなの?」と。
遊べば遊ぶほど、空しさがつのるだけ。
休むといっても、病院のベッドの上で休むのは、ごめん。
さらに言えば、休んだあと、どうすればよいのか。


退職者の最大の問題。
それは何度も書いてきたように、「自我の統合性」。
その統合性を、いかに確立するか、だ。


(自分がすべきこと)を発見し、そのすべきことに、
(現実の自分)を一致させていく。
(自分がすべきこと)を、「自己概念」という。
(現実の自分)を、「現実自己」という。
この両者を一致させることを、「自我の統合性」、
もしくは「自己の統合性」という。


自我の統合性の確立した老人は、すばらしい。
晩年を生き生きと、前向きに過ごすことができる。
そうでなければ、そうでない。
仏壇の仏具を磨いたり、墓参りだけをして、日々を過ごすようになる。
私の知人の中には、満55歳で役所を定年退職したあと、
ほぼ30年近く、庭いじりだけをして過ごしている人がいる。
年金は、月額にして、27〜8万円もあるという。
しかしそんな老後が、はたして理想的な老後と言えるのだろうか。


その知人は、1年を1日にして、生きているだけ(失礼!)。
10年を、1年にして、生きているだけ(失礼!)。


だから私はその人(女性)にこう反論したい。


「これからは、ゆっくりとお休みください」だと!
バカも休み休み、言え、バカヤロー!、と。
私たちの年齢をバカにするな!
(少し過激かな?)


そのあと、ワイフとこんな会話をした。


私「給料運搬人というのも、かわいそうだね。自分の仕事をそんなふうに
考えていたのだろうか」
ワ「そうよね。さみしいわね。仕事を通して生きがいというのは、なかったの
かしら」
私「ぼくも仕事をしてきたけど、自分が給料運搬人などというふうには、
考えたことはないよ」
ワ「そうねエ……」と。


給料運搬人とその人が、そう感ずるならなおさら、退職後は、そうでない仕事を
したらよい。
生きがいを求めたらよい。
「世のため、人のため」とまではいかないにしても、何かできるはず。
もしここで、その人(女性)が言うように、ゆっくりと休んでしまったら、それこそ
自分の人生は何だったのかということになってしまう。


残り少ない人生であるならなおさら、最後のところで、自分を燃焼させる。
できれば思い残すことがないよう、完全燃焼させる。
それが今まで、無事生きてきた私たちの務めではないのか。
若い人たちに、自分たちがしてきた経験や知恵を伝えていく。
若い人たちが、よりよい人生を歩むことができるよう、その手助けをしてやる。


まだ人生は終わったわけではない。
平均寿命を逆算しても、まだ25年もある。
「遊べ」だの、「休め」と言われても、私は断る。
私には、できない。



Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●自我の統合性と世代性(我々は、どう生きるべきか?)
(Do we have what we should do? If you have something that you should do, your life
after you retire from your job, would be fruitful. If not, you will despair in a miserable
 age.)

+++++++++++++++++

乳児期の信頼関係の構築を、人生の
入り口とするなら、老年期の自我の
統合性は、その出口ということになる。

人は、この入り口から、人生に入り、
そしてやがて、人生の出口にたどりつく。

出口イコール、「死」ではない。
出口から出て、今度は、自分の(命)を、
つぎの世代に還元しようとする。

こうした一連の心理作用を、エリクソンは、
「世代性」と呼んだ。

+++++++++++++++++

我々は何をなすべきか。
「何をしたいか」ではない。
「何をなすべきか」。

その(なすべきこと)の先に見えてくるのが、エリクソンが説いた、「世代性」である。
我々は、誕生と同時に、「生」を受ける。
が、その「生」には、限界がある。
その限界状況の中で、自分の晩年はどうあるべきかを考える。

その(どうあるべきか)という部分で、我々は、自分たちのもっている経験、知識、哲学、
倫理、道徳を、つぎの世代に伝えようとする。
つぎの世代が、よりよい人生を享受できるように努める。

それが世代性ということになる。

その条件として、私は、つぎの5つを考える。

(1)普遍性(=世界的に通用する。歴史に左右されない。)
(2)没利己性(=利己主義であってはいけない。)
(3)無私、無欲性(=私の子孫、私の財産という考え方をしない。)
(4)高邁(こうまい)性(=真・善・美の追求。)
(5)還元性(=教育を通して、後世に伝える。)

この世代性の構築に失敗すると、その人の晩年は、あわれでみじめなものになる。エリク
ソンは、「絶望」という言葉すら使っている(エリクソン「心理社会的発達理論」)。

何がこわいかといって、老年期の絶望ほど、こわいものはない。
言葉はきついが、それこそまさに、「地獄」。「無間地獄」。

つまり自我の統合性に失敗すれば、その先で待っているものは、地獄ということになる。
来る日も、来る日も、ただ死を待つだけの人生ということになる。
健康であるとか、ないとかいうことは、問題ではない。

大切なことは、(やるべきこと)と、(現実にしていること)を一致させること。

が、その統合性は、何度も書くが、一朝一夕に確立できるものではない。
それこそ10年単位の熟成期間、あるいは準備期間が必要である。

「定年で退職しました。明日から、ゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」というわ
けにはいかない。
またそうした行動には、意味はない。

さらに言えば、功利、打算が入ったとたん、ここでいう統合性は、そのまま霧散する。
私は、条件のひとつとして、「無私、無欲性」をあげたが、無私、無欲をクリアしないかぎ
り、統合性の確立は不可能と言ってよい。

我々は、何のために生きているのか。
どう生きるべきなのか。
その結論を出すのが、成人後期から晩年期ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 人生の統合性 世代性 統
合性の確立)

(追記)

(やるべきこと)の基礎をつくる時期は、「人生の正午」(エリクソン)と言われる40歳
前後である。もちろんこの年齢にこだわる必要はない。早ければ早いほど、よい。

その時期から、先にあげた5つの条件を常に念頭に置きながら、行動を開始する。

この問題だけは、そのときになって、あわてて始めても、意味はない。
たとえばボランティア活動があるが、そういう活動をしたこともない人が、いきなりボラ
ンティア活動をしたところで、意味はない。身につかない。

……ではどうするか?、ということになるが、しかしこれは「ではどうするか?」という
問題ではない。
もしそれがわからなければ、あなたの周囲にいる老人たちを静かに観察してみればよい。

孫の世話に庭いじりをしている老人は、まだよいほうかもしれない。
中には、小銭にこだわり、守銭奴になっている人もいる。
来世に望みを託したり、宗教に走る老人もいる。
利己主義で自分勝手な老人となると、それこそゴマンといる。

しかしそういう方法では、この絶望感から逃れることはできない。
忘れることはできるかもしれないが、それで絶望感が消えるわけではない。

もしゆいいつ、この絶望感から逃れる方法があるとするなら、人間であることをやめるこ
とがある。
認知症か何かになって、何も考えない人間になること。
もし、それでもよいというのなら、それでもかまわない。
しかし、だれがそんな人間を、あるべき私たちの老人像と考えるだろうか。

(付記)

統合性を確立するためのひとつの方法として、常に、自分に、「だからどうなの?」と自問
してみるという方法がある。

「おいしいものを食べた」……だから、それがどうしたの?、と。
「高級外車を買った」……だから、それがどうしたの?、と。

ところがときどき、「だからどうなの?」と自問してみたとき、ぐぐっと、跳ね返ってくる
ものを感ずるときがある。
真・善・美のどれかに接したときほど、そうかもしれない。

それがあなたが探し求めている、「使命」ということになる。

なおこの使命というのは、みな、ちがう。
人それぞれ。
その人が置かれた境遇、境涯によって、みな、ちがう。

大切なことは、自分なりの使命を見出し、それに向かって進むということ。
50歳を過ぎると、その熱意は急速に冷えてくる。
持病も出てくるし、頭の活動も鈍くなる。

60歳をすぎれば、さらにそうである。

我々に残された時間は、あまりにも少ない。
私の実感としては、40歳から始めても、遅すぎるのではないかと思う。
早ければ早いほど、よい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●5月22日 (May 22nd)

+++++++++++++++++

先ほど、電子マガジンの6月22日号の
配信予約を入れた。
ほっと一息ついた。
やっと追いついた。
一時は、10日以上も配信予約が遅れた。
電子マガジンは、いつも1か月先のを
配信予約することにしている。

で、この原稿は、6月24日号用ということになる。
だれのためでもない。
私のため。
私の脳みそのため。

しかし本当のところ、今は、「BW公開教室」
のほうがおもしろい。
楽しい。
毎日、アクセス数がどんどんとふえている。
3月に開設したときには、毎日3〜4件足らずだった。
が、今は、1日、120〜130件!
同じ人だったら、何回見ても、1件とカウントされるから、
実際には、その数倍以上のアクセスがあるとみてよい。
うれしい!
プラス、感謝!
(電子マガジンのほうは、この数か月、
ほとんどふえていない。
やる気が、どんどんと減退している。)

やはり生きがいというのは、みなに支えられて
作られるもの(?)。
その(支え)がなかったら、生きがいそのものが、
しぼんでしまう。
だから今は、「BW公開教室」。

大手の幼児教室がつくるビデオのようなスマートさは
ないが、おもしろさという点では、自信がある。
そこらの、(失礼!)、幼児を教えたこともないような
若い女性が講師をするような幼児教室とは、中身がちがう。

どうか、あなたの子どもといっしょに見てほしい。
「BW公開教室」のよさが、理解してもらえるはず。

+++++++++++++++++++

●映画『フロストxニクソン』(Frost x Nixon)

夕食を食べたあと、市内の劇場で、深夜映画を見てきた。
『フロストxニクソン』。
それなりにおもしろかった。
が、星は2つの、★★。
緊張感が売り物の映画のはずだったが、その緊張感が
伝わってこなかった。
(フロスト役の俳優が、少し物足りない。)

で、今夜はプレミア席で観た。
大きなリクライニング・シートが売り物の席である。
(ただし60歳以上は、料金は同じ。)
が、席についたとたん、異様な悪臭!
ななめ左前に座った男からのものと、すぐわかった。
不潔臭と体臭、それに腐敗臭。
10日以上、(あるいはそれ以上)、風呂に入っていない。
私はそう判断した。

映画が始まると同時に、席を移動。
前の方が空いていたので、そこへ座った。
そのため、迫力満点。
見終わったあと、ひどい疲れを覚えた。

映画館では、ときどき、こういうことがある。


●エピソード記憶

映画『フロストxニクソン』の中に、こんなシーンがあった。
第4回目の対談を前にした、その前夜のこと。
ニクソンが、ホテルにいるフロストに電話を入れる。
あれこれしゃべる。
が、その翌日、つまり第4回目の対談の日、ニクソンは、それを忘れてしまっていた。
フロストに電話のことを言われ、ニクソンは、少なからず、うろたえる。
結果的にそれが引き金となって、4回目の対談は、フロストのペースで進むことになる。

この(電話をしたことを忘れる)というのが、(エピソード記憶の喪失)ということになる。
電話の内容を忘れるとか、話に出てきた人の名前を忘れるというのなら、よくあること。
だれにもでもある。
しかし(電話をしたことそのものを忘れる)というのは、アルツハイマー病の
重大な症状のひとつにもなっている。
映画を観終わったあと、ワイフと私はこんな会話をした。
「ニクソンは、アルツハイマー病になっていたのかね?」
「そうかもしれないわ」と。

もちろんだからといって、ニクソンがアルツハイマー病だったというのではない。
映画の中でも、それを匂わせてはいるが、それ以上の説明はない。
また、ほかの脳の病気でも、同じような症状を示すことはある。
しかし附合性はある。
第4回目の対談のとき、ニクソンはそれまでとは違って、感情的になり、自分の罪を
認めるような発言までしてしまう。
日本流に表現すれば、「泣きごと」を口にする。
(あの、ニクソンが!)
私の知っている女性(68歳)も、同じような症状をときどき示す。
その女性は、最近、アルツハイマー病と診断されている。

言うことに節度がない。
ズケズケと言ったかと思うと、とつぜん、しおらしくなったりする。

そんなわけで、ここでは「?」としておく。
この映画のもととなった本を書いた人も、「?」と感じたのではないか。
しかし同時に、私は、こうも考えた。

もしアルツハイマー病だったら、何しろベトナム戦争を指揮した大統領だけに、
ことは重大である。
ウォーターゲート事件より、考えようによっては、さらに深刻な問題である。
そんな大統領の判断に従って、戦争をしたら、それこそ、たいへんなことになる。
(実際、たいへんなことになってしまったが……。)

だから私はかねてより、こう主張している。
この日本でも、首相以下、大臣レベルの閣僚たちはみな、就任する前、脳検査を
受けるべきではないか、と。
運転免許証の更新にすら、いろいろな検査が求めらる。
いわんや、首相職をや!
脳みそのおかしな人物に、国政を任せたら、それこそ、たいへんなことになる。
そういう法律を、今すぐ制定してほしい。
就任時に、健康診断書くらいは、国民に見せてほしい。

AS首相、あなたはだいじょうぶか?


●ダイエット、4日目

先日、油断していたら、体重が68キロ台にまでふえていた。
道理で体が重く感ずるはず。
そこでいつものダイエット。
ダイエット、開始!

小食にして、運動量をふやす。
栄養バランス食に切り替える、など。

で、今朝は、それが65・6キロまでに減っていた。
よかった!

私のばあい、67、8キロを超えると、とたんに体を重く感ずる。
足の裏が痛くなる。

今度も、何とか、64キロ台まで減らしたい。
あと数日、食事を、がまんする。
がんばる。

あ〜あ、それにしてもこの空腹感、なんとかならないものか。
少し甘い飴をなめて、視床下部のセンサーをごまかしてみる。
そこでは血糖値を監視している。
そのセンサーをごまかせば、空腹感は消えるはず。

では、みなさん、おやすみなさい。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●北朝鮮のみなさんへ(To: North Korean People)
??? ????

日本やアメリカのことは気にしないでください。
???? ???
???? ????.

あなたがたは、あなたがただけのことを考えてください。
???, ??? ???
??? ??????.

日本はあなたの国を侵略しません。
??? ??? ???
???? ????.

興味もありません。
???????.

どうか、一人芝居は、やめてください。
??, ?? ???
?????.

どうか、心安らかにしてください。
??, ?? ???????.

++++++++++++++++++

(付記)

ありもしない外国の脅威を理由に、またまたK国は、ミサイル実験を
しようとしている。
そんなヒマとお金があったら、国民の食糧のことを心配したらよい。
そういう思いを込めて、この文を、朝鮮語を使って書いてみた。

ついでに、
「子育ての最前線」は、

英語では、Forefront of raising children
朝鮮語では、??? ???
中国語では、前列??子女
フランス語では、Avant-garde de l'?ducation des enfants
ドイツ語では、Vorderster Front, die Kinder erziehen,

次回、HPを更新するときは、これらの文字を並べてみよう。
(たった今、試してみたが、英語とドイツ語以外は、私のHPソフトは、
認識しなかった。
こうしてワードで文を書く範囲では、何も問題ないようだが……。)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●趣味(My Hobby)(5月23日)

+++++++++++++++++++++

「パソコンが趣味です」などと言うと、人は、
(たぶん?)、「そのひとつだけ?」と思うかも
しれない。
しかし「パソコン」といっても、ひとつではない。

たとえば私のばあいは、こうだ。

パソコンを使ってものを書く……執筆が趣味
電子マガジンを発行する……編集が趣味
そのための写真を撮る……写真撮影が趣味
写真を加工する……写真加工が趣味
ビデオを撮る……ビデオ撮影、編集が趣味
HPを編集する……デザインが趣味、と。

ときどき頭がからっぽになるときがある。
書きたいテーマが、見つからないときがある。
そういうときは、マイクに向かって、勝手に
しゃべる。
それを編集して、YOU TUBEに
アップロードする。
そういうときは、放送が趣味、となる。

もちろんパソコン自体にも興味がある。
パーツを取り換えて、パソコンを強化する。
最近、メインのパソコンのハードディスクを、
750GBのものに取り換えた。
もろもろの周辺機器を、最新のものにする。
そのときは、パソコンの改造が趣味、となる。

つまり「パソコン」といっても、パソコン
だけではない。

座右には、
デジタルカメラが、3台、
ビデオカメラが、1台、
ボイスレコーダーが、1台、
ソニーのウォークマンが、1台、
イーモバイルの携帯端末が、1台、
もちろん、パソコンが3台に、モニターが2台、
電子辞書が、1台、
プリンターが、2台などなど。

こういうものを駆使して、はじめて「パソコンが
趣味です」と言うことができる。
で、今は、FLASHと、外国語翻訳に興味がある。
たまたま今日は土曜日だから、少しそれに再挑戦
してみたい。

この広がりというか、奥の深さが、パソコンの
魅力でもある。

そうそう昨日、私のHPやBLOGへのアクセス数が、
驚異的な数字を、(大げさかな?)、記録した。
大ざっぱな計算だが、1日で、計1万件を突破した。
考えてみれば、これは、ものすごいこと。

今から6、7年前、HPを開設したときには、
1日、約20〜30件程度のアクセスしかなかった。
(そのうち約半数が、私や家族がしたもの。
あるいは、知人に頼んで、アクセスしてもらった
こともある。ハハハ。)
それが今では、1万件以上!
しかも世界中から、である!

……といっても、悲しいかなその実感が、ほとんどない。
言うなればテレビゲームのようなもの。
「5000ポイント、ゲット!」と喜んでいる子どもと
同じ。

だから「パソコン」に、もうひとつ、趣味を加えたい。
パソコンゲームという趣味である。

さて、今日も始まった。
パソコンゲームが始まった。
5月22日、土曜日。
外は曇天。
秋の終わりのような、空気の冷たさを感じる。

++++++++++++++++++++

●中年期の女性観(異性観抜き)

男性は、(女性もそうだと思うが)、中年期(満40歳)を過ぎたら、
異性を異性と思ってはいけない。
(努力して、そう思わないようにする。)
なかなかむずかしいことだが、相手を異性としてではなく、1人の独立した
人間として見る。

R・C・ベックという学者は、こう言っている。
「(中年期にさしかかったら)、異性を性的対象ではなく、個々の人格、
仲間として認識する」(ナツメ社、「発達心理学」)と。

というのも、私を基準にしてものを書くのは危険なことかもしれないが、
若いころ、私にとって女性というのは、宇宙人ほど、異質な存在だった。
高校生のとき、図書館で女体解剖図を見ただけで、歩けなくなってしまった
ことがある。

こうした異性観は、一度できると、そう簡単には、変えられない。
ばあいによっては、50歳になっても、60歳になってもつづく。
(女性のばあいは、よくわからないが……。)
今でも、ふと油断すると、相手を1人の人間としてというよりは、「女」として
見てしまうことがある。
もっとも、それがあるから、人生も楽しいということになる。
それすらもなくなってしまったら、それこそ人生は、花の咲かない砂漠のように
なってしまう(?)。
ただ、こういうことは言える。

これは私のワイフについてだが、大半の時間は、私のワイフは、私のよき友である。
またそういう目で、ワイフを見ている。
しかしときに、ワイフが、「女」に見えることがある。
胸や体にさわってみたくなるときがある。
そういうふうでも、よいのではないか……ということ。
つまり、異性を1人の人間として見ることも大切だが、同時に、異性と意識することも
大切、と。
それが人生に、イロを添える。
実は、私はこのことを、私が55歳くらいのときに、発見した。

私の職場には、いつも若い母親たちがいる。
そういうこともあったのかもしれない。
あるいは男性にも更年期のようなものがあるという。
そのときがそうだったのかもしれない。
そのころ、私は、女性に対して、興味を失ってしまった。
女性が女性と、見えなくなってしまった。
ある日、相撲を見ながら、「関取の胸の方が、若い女性の胸より、ずっと美しい」
と思ったことさえある。

悪いことばかりではない。
そのとき私は、思春期以来はじめて、性欲からの解放を味わった。
同時に私は、それまでの私が、いかに性欲の奴隷であったかを知った。
で、そのときは意識しなかったが、そのころ、私は、男性、女性を問わず、
1人の人間として見るようになった。
R・C・ベックという学者が説いた、「異性を性的対象ではなく、個々の人格、
仲間として認識する」というのは、そういうことではなかったか。
今にして思うと、それがわかる。

しかし、だ。
その時期も、それほど長くはつづかなかった。
記憶は確かではないが、1、2年くらいではなかったか?
それ以後、また少しずつだが、異性観が戻ってきた。
で、今は、以前ほどではないかもしれないが、異性は異性、つまり女性を
「女」として見ることができるようになった。
若い女性の胸や足を見たりすると、再び、ドキッとするようになった。
が、変化も見られる。

そのときどきにおいて、自分の心を、すっきりと整理することができるようになった。
異性を、異性とみるとき。
異性を、1人の人間としてみるとき。
そういうふうに、自分を整理することができるようになった。

たとえば30〜40代のころは、相手が若くて美しい女性だったりすると、
何かにつけて甘くなったりした。
証券会社の女子店員に手を握られただけで、証券を買い増ししたりするなど。
(実際、デレ〜〜として、買ってしまったことがあるぞ。)
しかし、今は、それがない。
そういうふうに、自分の心を整理することができるようになった。

で、冒頭の話に戻る。

男性もある年齢を過ぎたら、努力して、自分から、(異性観抜き)をしなければ
ならないということ。
(異性観抜き)というのは、異性観からの脱却をいう。
が、これは努力の問題である。
それを怠っていると、いつまでも欲望の虜(とりこ)になって、自分を見失って
しまう。
これはあなた自身にとって、たいへん不幸なことと言ってもよい。

中には、70歳を過ぎても、自分の妻を、ただの女か、召使のようにしか考えて
いない男性もいる。
「男は、家の柱であればよい」などと、時代錯誤的なことを口にして、威張っている。
本人はそれで得意になっているが、まわりの人たちはだれも相手にしていない。
孤独でありながら、孤独が何であるかさえ、わかっていない。
そうなる。

こと子どもについて言うなら、子どもに男も女もない。
区別してはいけない。
とくに50歳を過ぎてからの私は、そういう目で、子どもを指導している。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
異性観 異性とは 異性観抜き)


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BWの飛び級について……●


今年度も、順調に、新学年が始まりました!(08年4月撮影・金・第3クラス)



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