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はやし浩司
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☆☆☆☆ 子育て最前線でがんばる、お父さん、お母さんのための、育児マガジン ☆☆☆☆
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Nr.1513号
2011年5月2日現在
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●毎週・月・水・金発行 ●はやし浩司のメイン・サイトは、はやし浩司より

最前線の育児論                  

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【教師のニヒリズム】

●雑感、あれこれ

 不登校児には、前兆症状がある。
その前兆症状がしばらくつづいたあと、さまざまな神経症的な症状が始まる。
この時期までに、適切な指導をすれば、不登校を防ぐことができる。
それをしないと、ある日突然、パニック期(ジョンソン)を迎える。
で、あとはお決まりの、不登校。

 その前兆症状。
症状といっても、はっきりしたものではない。
症状というよりは、教える側の「勘」。
勘でわかる。

●「勘」

 まず人格の「核(コア)」があいまいになってくる。
軟弱になる。
どこかグズグズした様子になり、いわゆる「何を考えているかわからない」
といった様子の子どもになる。
さらにそれがひどくなると、表情と心の状態が、離れ始める。
いやがっているはずなのに、柔和な笑みを浮かべて、それに従う、など。

 こうした状態を、「遊離」という。
表情と情意(=心)が分離する。
子どもの心の健康状態としては、きわめて危険な状態と考えてよい。
慢性化すると、さまざまな心の問題を引き起こすようになる。

 Iさんという女の子(小2)が、そうだった。
頭の回転も速く、それなりに勉強はよくできた。
教室では、とくにいやがっているとふうでもなかった。
が、家に帰ってから母親に、あれこれ愚痴を言うようになった。

●ターゲット

 子どもは自分の行為や思いを正当化するために、いろいろな理由づけをする。
たとえばおけいこ塾などへ行きたくないときは、こう言う。
「先生が、怖い」と。

たいていは相手が「人」であるため、私はそれを「ターゲット」と呼んでいる。
「A子さんが、意地悪する」
「B子さんが、仲間外れにする」と。
「先生が、私を叩く」と言うこともある。

 ともかくも、ターゲットは何でもよい。
「学校へ行きたくない」という思いが基底にあって、それを正当化するために、
あれこれと理由づけをする。

 このターゲットにも、プラス型とマイナス型がある。
ここに書いたように、「A子さんが意地悪する」と、相手を責めるのがプラス型。
一方、「C子さんが、(転校して)いなくなったから、行きたくない」とぐずるのが、
マイナス型。

 Iさんが家でぐずるようになったのは、友人のY子さんが転校していってからだった。
たしかに仲はよかったが、それほどショックではなかったはず。
親しいといっても、遊び仲間。
ほかにもいっしょに遊ぶ友だちはいた。

●話すべきか、話さざるべきか

 ここから先の話は、何度も書いた。
で、ここでは、その外側にある問題について考えてみたい。
つまりその前兆症状をとらえたとき、指導する教師は、どこまで介入できるか
という問題。
先にも書いたように、まだこの段階では、「勘」の問題。
「あぶないな?」と思う段階。

 当然のことながら、こういうケースでは、教師は2つのうちのひとつの選択に
迫られる。

(1)親に話すべきか、(2)話さざるべきか。

 というのも、この種の問題には、家庭問題がからんでいる。
ほとんどのばあい、家庭に原因があって、子どもはそうなる。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因ともなりかねない。
さらに言えば、「家庭」といっても、親側にそれだけの問題意識があれば、まだよい。
が、たいていの親は、「私はふつう」「私はふつうの親」「私の子は問題ない」と
思い込んでいる。
そういう親に向かって、「あなたの子どもは、不登校児になる心配があります」と、
どうして言えるだろうか。
実際には、言えない。

 教師側にはいつも、「もしまちがっていたら……」という不安も残る。

●家庭環境

 が、問題はつづく。
仮にそれを親に告げたとしても、親が子どもを包む家庭環境を変えることは、
まず期待できない。
一度、それに似たようなケースのとき、父親に話したことがある。
そのとき父親は、私にこう言った。

 「うちの家内は、下の子の育児で手一杯です。
今、そんなことを家内に話したら、家内は倒れてしまうでしょう」と。

 子どもを「直す」のは、むずかしい。
「家庭環境」を「直す」のは、さらにむずかしい。
で、私のばあい、勘ではそれがわかっていても、話さない。
親のほうから相談でもあれば話は別。
しかしそうでなければ、話さない。

●不登校

 で、結局、Iさんは、その後数か月を待たずして、学校へ行かなくなって
しまった。
ある朝、突然、大暴れした(パニック期)。
「学校へ行かない!」と言って、泣き叫んだ。
理由は、はっきりしなかった。
そのあと、あれこれ理由を並べたが、そのつど理由が変わった。
(これを私は「ターゲットの移動」と呼んでいる。)
親は、(先生も)、そのつどIさんの言葉に、引き回された。

 で、そのときのこと。
つまり不登校児になってからしばらくしてからのこと。
私がふと、「こうなることはわかっていました」と漏らしたことがある。
何かの拍子に、そう言ってしまった。
すると母親は、こう言って、叫んだ。
「わかっていたら、どうして早く言ってくれなかったのですかア!」と。

 ……ここに書いたIさんというのは、もちろん架空の子どもである。
いろいろなケースを混ぜて、Iさんとした。
しかしこういうケースは、多い。
が、その逆のこともある。

 印象に残っている母親に、Fさんという人がいた。
私がFさんの子どもについて、問題点を告げようとしたときのこと。
その母親は、私にこう言った。

「あんたは、黙って、子どもの勉強だけをみていてくれればいい」と。
そういうケースもある。

●ニヒリズム

 結局は、この言葉に行き着く。
「ニヒリズム」。
若いころ、どこかの塾の先生が、何かの会合で、この言葉を教えてくれた。
いくら教育に没頭しても、最後の10%は、自分のためにとっておく、と。
それがないと、傷つくのは、いつも教師の側ということになる。

 もちろん打診はする。
それとなくその話はする。
親の反応をみながら、つぎの話をする。
が、そのとき「距離」を感じたら、そのまま引きさがる。
「距離」というのは、「話してもわかってもらえないだろうな」という距離感をいう。
中には聞く耳すらもたない親がいる。
「うちの子どものことは、私がいちばんよく知っています」とばかり、教師の
言葉をはねのけてしまう。

私「……あのう、家で、何か心配なことはありませんか?」
母「ありません」
私「ぐするようなことはありませんか?」
母「うちでは、ふつうです」と。

 最近では「モンスター・ペアラント」という言葉もあるが、その一方で、
「ブレイン・レス・ペアラント(思考力のない親)」という言葉もある。
そこに問題があっても、それについて考えようともしない。
「私がぜったい正しい」と思い込んでいる。

 実際、こういう親に出会うと、教える側は絶望感すら覚える。

●宿命

 が、こう考えることもできる。
「それが子育て」と。

 「失敗」という言葉は使いたくないが、(ほかに適切な言葉がないので)、
しかし親は自分で失敗してみて、はじめてそれが失敗と気づく。
が、失敗をどうこう言うのではない。
これは子育てにまつわる宿命のようなもの。 

 裏を返して言うと、失敗のない子育てというのはない。
みな、その失敗を繰り返しながら、子育てをし、親は親になっていく。
たとえば子どもの不登校にしても、今では何でもない問題だし、おおげさに
考える必要はない。
その後の対処さえ適切であれば、いつかかならず笑い話になる。
そのときどきには、親はアタフタするが、そのアタフタの中から、無数の
ドラマが生まれる。
そのドラマに生きる価値がある。
生きる喜びも、そこから生まれる。

 が、賢い親になることはできる。
いろいろな鉄則がある。

(1)我が子を見るときは、他人の目で。……ときには自分の子どもが、他人の目には
どう見えるか。客観的に見てみる。

(2)先生と話すときは、聞き上手。……先生があれこれ言っても、反論しない。
聞き役に徹する。

(3)風通しのよい家庭環境に心がける。……ほかの父母から孤立しない。
情報交換がしやすい家庭環境に心がける。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 教師の限界 親の限界 ニヒリズム)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【常識という非常識】

+++++++++++++++++++++

まず、こんな話。
実際に、あった話。
じっくりと読んでほしい。
つまりこの話を読んで、あなたはどう感ずるか?
それをつぎの文を読む前に、
心の中で、さぐってほしい。
それがあなたのもつ、常識ということになる。

+++++++++++++++++++++

●ある中華料理店

 10年ほど前のこと、中国の北京から1組の夫婦が、その通りにやってきた。
夫の方は、父親が日本人だった。
妻の方は、生粋の中国人。
その夫婦は、通りの一角に、中国料理店を開いた。

 最初は、結構、繁盛していた。
「1日、日本で働けば、中国での1か月分の稼ぎになる」と、
その夫婦は、そう言って喜んでいた。
が、そこへ不景気の嵐。
1、2の店がシャッターを下ろしたのをきっかけに、客足が通りから急速に遠のいた。
そのときのこと。

 その中華料理店の隣が、中高年以上の女性を相手にしたブティック。
さらにその隣が、印鑑屋。
そのブティックの店が、週休2日から、週休4日になった。
実際には、午後の数時間だけ、店を開いた。
印鑑屋も、シャッターを半分、下ろした。

 が、これに先の中国人夫婦が、怒った。
怒って、ブティックと印鑑屋へ怒鳴り込んでいった。
ものすごい剣幕だったという。
「店、ちゃんと、開けるあるね!」と。

 驚いたのは、ブティックを経営していた女性。
それに印鑑屋の男性。
「店を開けるか、閉めるかは、私たちの自由」と。
ブティックの女性は、こう言った。
「あんなメチャメチャな話は、聞いたことがありません」と。

●常識

 アインシュタインは、かつてこう言った。
「常識などというものは、その人が18歳のときにもった偏見のかたまりである」と。

 みなさんは、この中華料理店の夫婦の話を読んで、どう感じただろうか。
恐らく中国人夫婦の言い分は、めちゃめちゃと感じたにちがいない。
が、つぎの話を読んだら、その(感じ)は、かなりちがってくるはず。
これも私が直接、経験した話。

 ……先月、私はオーストラリアへ行ってきた。
そこでのこと。
どんな町でも、少し郊外へ行くと、みな、日本では考えられないような大豪邸に
住んでいる。
(家の質そのものは、よくないが……。)
居間だけでも40畳程度、あるいはそれ以上にある。
どの部屋も、20畳以上。
そういう部屋が、4〜10個もある。

 アメリカ映画にもそういうシーンが、よく出てくる。
しかし映画で見るのと、実際に見るのとでは、印象は大きくちがう。
つまりびっくりする。

 もちろん土地も広い。
エイカー単位。
1エイカーは、約4000平方メートル。
つまり1200坪。

 そこで私は聞いた。
「税金は、どうしているのか?」と。
つまり「税金は高いだろうな」という思いをもって、そう聞いた。
が、彼らの答は意外なものだった。

 「税金は、Land Valuer(不動産鑑定人)が、最初に決める」と。

 平たく言えば、家の広さも、土地の広さも関係なし。
立地条件や環境、それに家の質で決まる、と。
たとえばショッピングセンターが近くにあれば、バリュー(価値)は高くなる、と。

●家の価値

 だから彼らは、隣の家の芝生が伸び放題になっていると、それについて、隣の
家に対して文句を言う。
アメリカに住んでいる二男も、そう言っていた。
「芝生を刈らないと、近隣の人たちに文句を言われる」と。

 家の価値は、環境によって決まる。
こんな当たり前のことですら、日本では、非常識となる。
ご存知のように、土地の税金にしても、市の中心部からの距離によって決まる。
(それほど単純ではないが、この意見には、だれも異議を唱えないだろう。)

 そのこともあって、欧米人は、通りから見た美しさを、大切にする。
通り全体、町全体の景観を大切にする。
少なくとも灰色のブロック塀で、自分の土地を囲むということはしない。
庭木にしても、通りに近い方に低木、家に近い方に高木を植える。

 こうして「質」を高めることによって、家の「価値」を高める。
家の「価値」が高くなれば、売買するにも有利。
銀行からの借入金もふやせる。

 こうした伝統が、何百年にも渡って、つづいている。
意識そのものが、ちがう。
常識そのものも、ちがう。
それが通りの美しさにも、大きく影響している。

●視点

 「中国でも同じ」とは、私には言えない。
そこまで詳しく中国のことは知らない。
しかし日本人がもっている常識が、世界の常識と考えるのは、まちがい。

 たとえば義兄は、浜松市内の中心部に住んでいる。
人口密集地で、電柱から電柱へと、蜘蛛の巣のように電線が走り回っている。
それがぞっとするほど、不気味。

 家々は軒をつらね、その家々は、これまたてんでバラバラの作り。
洋風の家もあれば、和風の家もある。
事務所もある。
医院もある。
色もめちゃめちゃ。
もちろんその多くは灰色のブロック塀で取り囲まれている。

 一方、私の家は、郊外にある。
目の前には、小さいが森もある。
が、固定資産税ということになると、義兄の土地家屋のほうが、はるかに高い。
財産価値が高い。

 考えてみれば、これほど非常識なことはない。
ほんの少し視点を変えるだけで、ものの価値観が、180度変わる。
これもそのひとつ。

 先に書いた中国人夫婦がもっている常識は、欧米人のそれに近いのかもしれない。

●杓子定規

 日本人は、そういう点でも、ものの考え方が杓子定規。
私は、こんな経験をした。
ありのままを書く。

 30歳になったころのこと。
学研という出版社から、「経穴辞典を書いてほしい」という依頼をもらった。
「経穴」というのは、鍼灸でいう「ツボ」をいう。

 私はさっそく、作業に取りかかった。
……といっても、資料そのものがない。
私は香港の友人を通して、中国本土の本を取り寄せた。
その本をたたき台にし、本を書き始めた。

 で、8〜9割完成したところへ、出版社から横やりが入った。
「つぼの取り方(取穴法)は、日本式で行く」と。

 日本式?

 1972年ごろには、日本の和漢、鍼灸は、完全に消滅していた。
そういった仕事は、身体に障害のある人たちのものということになっていた。
が、突然の鍼灸ブーム。
中国での針麻酔がきっかけだった(1972年)。

 そこで立ち上がったのが、日本鍼灸学会。
(少なくとも私がその学会名を知ったのは、30歳くらいのころ。)
最初の作業が、経穴(つぼ)の位置の特定。

 が、これがまあ、とんでもないほど杓子定規。
鎖骨から〜寸下が、XXと。
寸法を基準に、経穴(つぼ)を決めていた。

 一方、中国では、たとえば腕を曲げたり伸ばしたりし、そこにできた凹み(穴)など
に取穴していた。
私はその中国式で、本を書いていた。
が、それがすべて御破算。

 私はすべてイチから書きなおしを迫られた。
理由を聞くと、「WHOで、取穴法をめぐって、中国式と日本式が戦っている。
この本を日本式を主張するためのたたき台にしたい」と。

 おかげでその本を書くのに、7年もかかってしまった。
本当は、最初の1年で完成していた。
それを7年!
やる気があるのとないのとでは、作業のスピードもちがう。
私は完全にやる気を失っていた。
中国式のほうが、はるかに合理性がある。
それに中国の中国式。
勝てるわけがない!

 ……で、7年。
悶々とした作業の中で、私は7年も無駄にした。
で、そうしてできあがった本が、「東洋医学・経穴編」(学研)である。

●常識論

 再び、常識論。
私たちは何をもって、常識というか。
冒頭の話に戻る。

 「店を開けるか、閉めるか、それは個人の自由」と、日本人は考える。
もう一歩話を進めれば、「芝生を荒れ放題にしようが、美しく刈り込もうが、個人の
自由」と、日本人は考える。

 おかしな個人主義がはびこっている。
空地があれば、そこに家を建てる。
まわりの景観を考えて家を建てる人は、まずいない。
調和を考える人は、さらに少ない。
また隣におかしな家が建っても、だれも文句を言わない。
フランス風の家もあれば、イタリア風の家もある。
デザインも色も大きさも、てんでバラバラ。
しかしこれこそ、世界の非常識。

 言い換えると、世界の常識を知れば知るほど、先の中国人の夫婦の考え方に
近くなっていく。
日本人の私たちにしてみれば、とんでもない非常識な言動に見えるかもしれない。
しかしひょっとしたら、私たち日本人の常識のほうが、おかしいかもしれない。
「常識」というのは、そういうもの。
だからといってその中国人夫婦の言動が、すべて正しいというわけではない。
ないが、私たちのもっている常識は、じゅうぶん、疑ってみる必要がある。

 常識論については、12、3年ほど前から、書いてきた。
中日新聞に書いた記事の中から、さがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本の常識、世界の非常識

● 「水戸黄門」論……日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちが
っているかといっても、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分
制度という(巨悪)にどっぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、
その「おかしさ」がわからないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋
章を見せつけて、人をひれ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではない
のか。仮に水戸黄門が悪いことをしようとしたら、どんなことでもできる。それこそ19
歳の舞妓を、「仕事のこやし」(人間国宝と言われる人物の言葉。不倫が発覚したとき、そ
う言って居直った)と称して、手玉にして遊ぶこともできる。

● 「釣りバカ日誌」論……男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になってい
る。その背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関
係なし」と。しかしこれこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事
の同僚と飲み食い(パーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、
夫たちだけで過ごすということは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕
事第一主義社会」が生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。

● 「森S一のおふくろさん」論……夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と
泣く民族は、世界広しといえども、そうはいない。あの歌の中に出てくる母親は、たしか
にすばらしい人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘になれ」とその母親は教えたというが、
こうした美化論にはじゅうぶん注意したほうがよい。マザコン型の人ほど、親を徹底的に
美化することで、自分のマザコン性を正当化する傾向が強い。

●「かあさんの歌」論……窪田S氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(3行目と4行目)
は、かっこ(「」)つきになっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだ
だよ」「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だ
で。畑が待ってるよ」と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。
親が子どもに手紙を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに
似合うと思ったから、買っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき
載るよ」「♪春になったら、村のみんなと温泉に行ってくるよ」だ。

● 「内助の功」論……封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで用い
られた。しかしこの言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう
論ずるまでもない。しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いという
こと。約23%の女性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではない
ようだ。

※……全国家庭動向調査(厚生省98)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」
という考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本の常識 世界の非常識 はやし浩司 常識論 アインシュタイン
の常識)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●4月26日

++++++++++++++++++

今日も始まった。
がんばろう。

今日は4月26日、火曜日。
肌寒い朝。
起きてすぐ、30分、歩いた。
かなり汗が出た。
が、それが乾くと、今度は寒気。
「寒いなあ……」と思いつつ、
書斎の椅子に座る。

言い忘れたが、おととい、書斎の
模様替えをした。
どこかの会社の社長室のようになった。
大きなデスクに、深々とした椅子。

……やっぱり、こたつのほうが
よかった……と。
心のどこかでそう思う。

+++++++++++++++++

●調子

 数日前から、(やっと)、調子が戻ってきた。
まず書きたいことが、ぼんやりとした形で、浮かんでくる。
それを一気に、キーボードを叩いて吐き出す。

 調子が悪いときは、それがひとつの「固まり」ならない。
書いているうちに文章がバラバラになってしまう。

 調子がよいときは、書きたいことが小川の流れのようになって、
外に出てくる。
文章もまとまる。

 昨日ワイフに、「やっと調子が戻ってきた」と言うと、ワイフがうれしそうに
笑ってくれた。
3・11大震災のあと、ショック状態になってしまった。
文が書けなくなってしまった。
調子が狂ってしまった。
「ぼくはもうこれで文が書けなくなるかもしれない」と思ったこともある。

 しばらく悶々とした日々がつづいた。
苦しかった。
が、数日前から、また書けるようになった。
まだ慣らし運転という段階で、つっこみも甘いが、それでも書けるようになった。

ホ〜〜〜ッ!

 今朝は、そんな心境。

(はやし浩司)ー(書くこと)=NOTHING

●3・11大震災

 ところであの震災を、何と呼ぶか。
当初、政府の呼び名は、二転三転したように思う。
最近は、「東北関東大震災」と呼んでいる。
が、私は当初から、「3・11震災」もしくは、「3・11大震災」と書いている。
どちらでもよいが、週刊誌などでは、「3・11大震災」と書くことが多く
なってきた。

 私は「3・11大震災」のほうが、よいのではと思う。
わかりやすいし、あの忌まわしい3月11日を、永遠に記憶にとどめることができる。
毎年、3月11日がやってくるたびに、気持ちを引き締めることができる。

●「福島」ナンバー

 最近、浜松市内でも、「福島」ナンバーの車をよく見かけるようになった。
しかしこれには異論もある。

 時期が時期だから、「福島」という県名に敏感になっているのでは、と。
つまり目立つ。
だから「よく見かけるようになった」と。

 が、ほかの県の車に比して、多くなったのは事実。
たいていどこの駐車場にも、1台や2台は止まっている。
で、あるBLOG(「浜松祭り 中止 反対」で検索してヒット)には、こうあった。
「浜松へ来て、うそのように平和なのには、驚いた」と。

 はるばる遠くから避難してきた人たち。
暖かく迎えてやろうではないか。
「浜松で、ゆっくりとくつろいでください」と。

●YOUTUBE

 YOUTUBEでは、「インサイト情報」を見ると、毎日のアクセス数が
そのままグラフとなって表示されるようになっている。
それによると、このところアクセス数が、900件/1日を超えるようになった。
BLOGとちがい、アクセス数が安定している。
(BLOGは、1週間も投稿しないでいると、アクセス数が、ガクンと落ちる。)

 1000件まで、あと一歩。
コメントも、世界中から集まる。
外国では、日本語の勉強に利用している人が多い。

 で、先ほど、年中児(4歳児)クラスの様子を撮ったビデオを、UPした。
この年齢の子どもを、50分間、レッスンに引きつけておくのは、容易なことではない。
テンポを速くし、リズミカルにレッスンを進める。
間(ま)をおいたとたん、子どもたちの注意力が散ってしまう。
頭が冷たくなってしまう。

だから真剣勝負。
私と子どもとの真剣勝負。
一見、気楽に教えているように見えるかもしれないが、50分もつづけると、
私の方がヘトヘトになる。

そんな苦労を、つぎのビデオを通して理解してもらえれば、うれしい。

【新年中児(4歳児)・あいさつ】













Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●4月26日

●雑感、あれこれ

【不登校児の前兆】

 不登校児には、前兆症状がある。
その前兆症状がしばらくつづいたあと、さまざまな神経症的な症状が始まる。
この時期までに、適切な指導をすれば、不登校を防ぐことができる。
それがないと、ある日突然、パニック期(ジョンソン)を迎える。
あとはお決まりの、不登校。

 その前兆症状。
症状といっても、はっきりしたものではない。
症状というよりは、「勘」。
勘でわかるようになる。

●「勘」

 まず人格の「核(コア)」があいまいになってくる。
軟弱になる。
どこかグズグズした様子になり、いわゆる「何を考えているかわからない」
といったタイプの子どもになる。
さらにそれがひどくなると、表情と心の状態が、一致しなくなる。
いやがっているはずなのに、柔和な笑みを浮かべて、それに従う、など。

 こうした状態を、「遊離」という。
表情と情意(=心)が分離する。
子どもの心の健康状態としては、きわめて危険な状態ということになる。
慢性化すると、さまざまな心の問題を引き起こすようになる。

 Iさんという女の子(小2)が、そうだった。
頭の回転も速く、それなりに勉強はよくできた。
教室では、勉強をとくにいやがっているとふうでもなかった。
が、家に帰ってから母親に、あれこれ愚痴を言うようになった。
同時に母親から、たびたび電話がかかってくるようになった。
「先生のところへ、行きたがらなくて、困っています」と。

●ターゲット

 子どもは自分の行為や思いを正当化するために、いろいろな理由づけを
する。
たいていは相手が「人」であるため、私はそれを「ターゲット」と呼んでいる。
「A子さんが、意地悪する」
「B子さんが、仲間外れにする」と。
「先生が、怖い」と言うこともある。

 ともかくも、ターゲットは何でもよい。
「学校へ行きたくない」という思いが基底にあって、それを正当化するために、
あれこれ理由をこじつける。

 このターゲットにも、プラス型とマイナス型がある。
ここに書いたように、「A子さんが意地悪する」と、相手を責めるのがプラス型。
一方、「C子さんが(転校して)、いなくなったから、行きたくない」とぐずるのが、
マイナス型。

 Iさんが家でぐずるようになったのは、友人のY子さんが転校してからだった。
たしかに仲はよかったが、それほどショックではなかったはず。
親しいといっても、遊び仲間。
ほかにもいっしょに遊ぶ友だちはいた。

●教師の介入

 ここから先の話は、何度も書いた。
で、ここでは、その外側にある問題について考えてみたい。
つまりその前兆症状をとらえたとき、指導する教師は、どこまで介入できるか
という問題。
先にも書いたように、まだこの段階では、「勘」の問題。
「あぶないな?」と思う段階。

 当然のことながら、こういうケースでは、教師は2つのうちのひとつの選択に
迫られる。

(1)親に話すべきか、(2)話さずにおくか。

 というのも、この種の問題には、家庭問題がからんでいる。
ほとんどのばあい、家庭に原因があって、子どもはそうなる。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因ともなりかねない。
さらに言えば、「家庭」といっても、親側にそれだけの問題意識があれば、まだよい。
が、たいていの親は、「私はふつう」「私はふつうの親」「私の子は問題ない」と
思い込んでいる。
そういう親に向かって、「あなたの子どもは、不登校児になる心配があります」と、
どうして言えるだろうか。
実際には、言えない。

 教師側にも、「もしまちがっていたら……」という不安が残る。

●みな、精一杯

 が、問題はつづく。
仮にそれを親に告げたとしても、親が子どもを包む家庭環境を変えることは、
まず期待できない。
一度、それに似たようなケースのとき、父親に話したことがある。
そのとき父親は、私にこう言った。

 「うちの家内は、下の子の育児で手一杯です。
今、そんなことを家内に話したら、家内は倒れてしまうでしょう」と。

 子どもを「直す」のは、むずかしい。
「家庭環境」を「直す」のは、さらにむずかしい。
で、私のばあい、勘ではそれがわかっていても、話さない。
親のほうから相談でもあれば話は別。
しかしそうでなければ、話さない。

●結局は、不登校児に

 で、結局、Iさんは、その後数か月を待たずして、学校へ行かなくなって
しまった。
理由は、はっきりしなかった。
あれこれ理由を並べたが、そのつど理由が変わった。
(これを私は「ターゲットの移動」と呼んでいる。)
親は、(先生も)、そのつど引き回された。

 で、そのときのこと。
これは別のケースだが、私がふと、「こうなることはわかっていました」と
漏らしたことがある。
何かの拍子に、そう言ってしまった。
が、それに反応して、母親が激怒した。
「わかっていたら、どうして話してくれなかったのですか!」と。

 私は平謝りに、謝るしかなかった。
 

Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●脳みそ

 よくハードディスクは、冷蔵庫に例えられる。
メモリーは、まな板に例えられる。
パソコンを使うときは、冷蔵庫(ハードディスク)から食材を取り出し、
まな板(メモリー)の上で料理する。

 だからまな板の役割をするメモリーは、多ければ多いほどよい。
まな板が小さいと、まな板の上がすぐごちゃごちゃになってしまう。
私のパソコンも、64ビットマシンになった。
メモリーは12GB。
おかげで10前後のファイルを開き、同時に作業をしても、ビクともしない。

 で、そのまな板。
作業をしないときは、きれいに片づいていたほうがよい。
当然のことである。
同じように、脳みそも、休んでいるときは、何もないほうがよい。
真っ白というか、空っぽ。
そのほうがよい。

 実は、今の私がそうだ。
深々とした椅子。
広々としたデスク。
パソコンのモニターは、27インチ。
つまりここが私の天国。
私だけの世界。
ここに座っていると、ほっとする。
しばらく座っていると、頭の中が空っぽになる。
何も考えられなくなる。
ときどき「今まで考えてきたことは、どこへ消えたのか」と思うこともある。

 ……が、もちろん、そうでないときもある。
脳みその隅に、何か不快なものがペタリと張りつき、それが取れないときもある。
そういうとき私は、すぐこう思いなそす。
「ああ、今は、病気」と。

 パソコンにたとえるなら、ファイルが壊れている状態。
壊れているから、終了をかけても、まな板(メモリー)の上に、そのまま
残ってしまう。
こういう状態のときは、結論を出さない。
原稿を書かない。
音楽を聴いたりして、気分転換を図る。

 つまり自分の意思で、脳みそをコントロールする。
考えてみれば、これはすばらしいことである。
心理学的にいえば、「自己管理能力」ということになる。
が、それともちがう。
コンピューターにたとえるなら、コンピューター自らが、自分のCPU
(中央演算装置)をコントロールするようなもの。
実際には、コンピューターには、そんな能力はない。
ほかの動物たちにもない。
これは恐らく人間だけがもつ、特殊な能力ということになる。

 今朝の私は気分がよい。
その理由のひとつ。
今の私の脳みそは、空っぽ。
心配ごともない。
悩みも恨みもない。
不安も恐れもない。
だから気分がよい。

 みなさん、おはようございます。
2011年4月26日

++++++++++++++++++++++

●犬のハナ

 たった今、犬のハナがけたたましく吠えている。
「うるさい!」と私が叫ぶ。
階下で「いいのっ!」とワイフがなだめる。
ハナはハナで、この家を守っている。
人(犬?)一倍、番犬意識が強い。
それがよくわかっているから、私たちもなだめる程度。

 静かになるまで、数分はかかる。
今は興奮状態。
アドレナリンが中和されるまで、しばらく待つしかない。

●老犬

 そのハナもすっかり老犬になってしまった。
もうすぐ19歳になる。
月ごとに体がやせていく。
一日中、草の上で眠っている。
それがわかるから、このところ、ソーセージやミルクを、多く与える。
ハナの好物である。

 ワイフは、ときどきこう言う。
「もう、それほど長くはないかもしれないわね」と。
さみしいことだが、私は同意するしかない。
……というか、心のどこかで準備を始めた。
その日が来ても、動じないように。

 ハナ……人は、ブスという。
しかし私には、どういうわけか、美人に見える。
顔立ちもよいし、かわいい。
もう少し若いころは、よく中田島の砂丘へ連れていった。
自転車で10分前後のところにある。
そこへ行くと、ハナは、カラスを追いかけ、見えなくなるほど遠くまで、
走っていった。

 が、今のハナには、もうそれができない。
自転車で伴走しても、10分も息がつづかない。
ヘタヘタした走り方になる。
が、私にとっては、よき友。
恋人。
庭で何かの作業をしていると、すぐ私の顔をなめにくる。
おとといも、庭で組み立て式の箱を、4つ作った。
そのときも私のそばを、片時も離れなかった。

 そういうこともあって、私は庭へ出るたびに、ハナに声をかける。
が、そのつど、「もしや……」という不安が横切る。
が、ハナは裏切らない。
声をかけるたびに、……反応は鈍くなったが、頭をさげて、奥の犬小屋から
出てくる。
いそいそと出てくる。
私はハナの頭をさする。
首の下をなでる。

 ……そんな日々もやがて終わるかもしれない。
さみしいことだが、別れの日は近い。
そんな予感がする。

 ハナ、今までありがとう!
お前は、たしかにぼくの人生の一部だった。
楽しい思い出、ありがとう!

 ……こんな言葉を口にするのは、まだ少し早いかな?


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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【BW幼児教室】byはやし浩司 今日は、幼児クラスで、(1)筆算、(2)三角形の面積、(3)100を超える数を、 教えてみました。 結果は、ご覧の通り。 「幼児に筆算!」と、驚かれる人は、(疑問に感じられる人も)、まずこのYOUTUBE をじっくりと見てほしい。 その上で批評してほしい。 子どもたちの笑い声+可能性に着目してほしい。





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