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はやし浩司
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2011年4月1日現在
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最前線の育児論                  

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【場面かん黙・場面かん黙児】

++++++++++++++++++

林美子(はやし・みこ)さんという方から、
『なっちゃんの声』という本を、送って
もらいました。

今回は、その本の紹介します。

で、場面かん黙児への理解は、まだほとんど
進んでいない……というのが、私の
実感です。

家の中では、ふつうに、あるいはふつう以上に
よくしゃべるため、親やその周辺の人は、
それに気づきません。
が、場面が変わると、まったく話さなく
なってしまいます。

たいていは、保育園や幼稚園など、集団教育の
場に、いきなり入れられたようなとき、
発症します。

対人恐怖症がこじれ、無言を守ることによって、
心を防衛しようとする機能が働くためと
考えるとわかりやすいでしょう。

はやし・みこさんから送っていただいた
資料にもあるように、早期の段階で気づき、
適切な指導(私のばあい、大声で笑わせるという
方法を重視しています)があれば、そのまま
症状が消えてしまいます。

が、問題は、その子ども自身にあるというより、
無知と無理解が蔓延し、誤解や偏見が生まれやすい
ということです。
私も一度、その子どもの父親に、「お前が
うちの子を萎縮させてしまった。責任を
取ってもらう!」と、怒鳴り込まれたことが
あります。
親自身が、それに気づかないというケースも
多々あります。

子育ての世界では、「無知」は、それ自体が
罪ということになります。
どこかにそのとき書いたエッセーがあるはずです。
あとで、ここに添付しておきます。

はやし・みこさん、本をお送りくださり、
ありがとうございました。
できるだけ多くの人に読んでもらいたいと思い、
ここに紹介させていただきます。

本の申し込みは、「学苑社(03−3263−3817)まで。

++++++++++++++++++

+++++以下、送っていただいた本、資料をそのまま紹介++++++

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jpeg"
width="966" height="1507" alt="img135.jpg">


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"
width="953" height="1304" alt="img136.jpg">


<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/78/imga34f9321zik1zj.
jpeg"
width="1015" height="1443" alt="img137.jpg">


<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/77/imga9e00f0dzikfzj.jpeg
"
width="1138" height="1258" alt="img138.jpg">


+++++以上、送っていただいた本、資料をそのまま紹介++++++

+++++++++++++++++++++

子育ての偏見と誤解について、もう10年近く
前に書いた原稿です。

先に書いたように、子育ての世界では、「無知」は、
それ自体が罪ということになります。
「知らなかった」では、すまないということです。
少しきびしいエッセーですが、そういう視点から
どうか、読んでください。

+++++++++++++++++++++

【子育てブルース】

++++++++++++++++++

子育ての世界にも、人には言えない、
悲しい物語が、山のようにある。
それを口にしたら、おしまい……という
ような話もある。
今朝は、そんな物語について、書いてみたい。
ただしここに書く子どもの例は、架空の
話と考えてほしい。
何人かの子どもを、1人の子どもに仕立てて
書いてみた。

++++++++++++++++++

●問題児?

 その子ども(小2女児)には、まったく、問題はない。
むしろ聡明で、思考力も深い。
性格もおだやか。
とくに数に鋭い反応を示す。

 が、母親(Mさん)は、会うたびに、その子どもについて、不平、不満を並べる。
そのたびに、私は、それを否定する。
が、母親は信じない。
信じようともしない。
何か言えば、すかさず、それについて反論する。
「あそこが、悪い。ここが悪い」と

 この世界には、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という言葉もある。
自分の子どもをわざと病人にしたて、その子どもを、かいがいしく世話をしてみせる。
よくできた母親を演じてみせる。
「私は子どもを愛しています」と、口ではよく言う。
しかしその実、何も愛していない。
自分の心の隙間を埋めるために、子どもを利用しているだけ。

(「代理ミュンヒハウゼン症候群」については、「はやし浩司 代理ミュンヒハウゼン」
で、検索をかけてみてほしい。)

 が、それに似た事件となると、……というより、それを薄めたような事件となると、
程度の差もあるが、ゴマンとある。
それについて、ある精神科医のドクターは、こう教えてくれた。
「そのタイプの親は、(母親であることが多いが……)、見るからに様子がちがいますから、
わかります」と。

 「見るからに」という言葉を使えるのは、それなりに多くの例を見てきたから言える。
ふつうの人には、わからない。
が、たしかに様子が、ちがう。
へん?
おかしい?

 どこか挙動が不自然で、母親らしい(なめらかさ)がない。
いつもピリピリしていて、心に余裕が感じられない。

●Mさん(37歳)のケース

 ここに書いたMさんは、毎日のように娘(小2)の心配ばかりしている。
「学校の参観日で見たが、手をあげなかった」
「声が小さかった」
「せっかく先生にさされたのに、隣の子に、先に答を言われてしまった」
「忘れ物をした」
「宿題をやらない」と。

 少しでも顔色が悪いと、すぐ病院へ連れていく。
花粉症だったのだが、「レーザーで焼いてもらう」とか、「扁桃腺を切ってもらう」とか、
そんな話ばかり。

 その女の子で特徴的だったのは、母親が近くにいるときと、いないときとでは、様子が
まるで別人のようにちがったこと。
母親がいるときは、静かでおとなしかった。
表情も暗かった。
が、母親がいないところでは、明るく快活で、いつもニコニコ笑っていた。

 母親は、「子育てでたいへんです」と言いながら、Mさんが学校から帰ってくると、
一瞬たりとも、M子さんのそばから離れなかった。

●バカなフリ

 一方、大きな問題をかかえているにもかかわらず、それにまったく気づいていない親も
多い。
気づかないまま、子どもを叱ったり、説教したりする。
あるいは幼稚園の先生に、「どうしてでしょう?」を繰り返す。
が、幼稚園の先生に、診断権はない。
またそれが判断できるようになるまでには、10年単位の経験が必要。

 病名を出すのは、はばかれるが、しかしわかるものはわかる。
わかるのであって、どうしようもない。
「〜〜障害」と言われる子どもたちである。
AD・HD児にしても、自閉症児にしても、私のばあい、会った瞬間にわかる。
が、もちろん病名を口にするのは、タブー。
タブー中のタブー。
わかっていても、わらないフリをして、……つまり無知なフリ、もっと言えば、
バカなフリをして、相談に乗る。
しかし、ここで問題が起きる。

●たとえばLD児

 LD児、つまり学習障害と言われる子どもたちがいる。
症状は、みな、ちがう。
ちがうが、ある一定のワクの中で、定型化される。
読み書きのできない子ども、算数がとくに苦手な子ども、集中力に欠ける子どもなど。
が、平たく言えば、学習面において、著しい「遅れ」を示す。

 最近の定説に従えば、脳の機能的な問題がからんでいるため、教育の世界で
改善を求めるのは、容易なことではない。
たとえば識字障害児と呼ばれる子どもがいる(注※)。
難読症、失読症が含まれる。
出現率は、10%前後と言われている。
10人に1人。

 このタイプの子どもは、文字そのものを読み取ることができない。
そのためその影響は、あらゆる面に現れる。
が、親にはそれがわからない。
「算数の文章題を、読みまちがえてばかりいます」
「本を読みません」など。

 そういう子どもをもつ親から、「どうしたら国語ができるようになりますか」という
相談をもらう。
指導の方法がないわけではない。
が、簡単には、できるようにならない。
そこであれこれ方法を教える。
が、1、2週間もすると、(たったの1、2週間!)またやってきて、こう言う。
「先生、効果、ありませんでした」と。

●X君
 
 もう1人、記憶によく残っている子ども(中学・男児)に、X君がいた。
学校でも、評判の(?)子どもだった。
で、その子どもを含めて、自宅で、4〜5人だけのクラスをもったことがある。
しかし半年もしないうちに、X君だけをのぞいて、みな、やめてしまった。

 「あんなX君といっしょでは、いやだ」と。

 小さな地域である。
小学生活6年間をともに過ごしている。
みな、それぞれ、それぞれの子どもの能力をよく知っている。

 で、そのあとX君は、3年間、私の家に通ってくれた。
いつもひとりだった。
で、何とか、それなりの高校に進学していったが、それでX君が私に感謝したかというと、
それはない。
もともと勉強が嫌いだった。
やっと少し追いついたかと思っても、学校の勉強は、さらに先へと進んでいた。
つまり「親が行け」というから、私の教室に通ってきただけ。
毎週、毎週、重い足を引きずりながら、私のところへ来ていた。
それが私にも、よくわかった。
そういうケースもある。

●私の経験

 私もいろいろな「波」を経験した。
ある時期は、市内でもゆいいつと言われる進学校の子どもたちばかりになったこともある。
また別のある時期は、いわゆる問題をかかえた子どもたちばかりになったこともある。
英才教育を試みたこともある。
2〜3歳児の教育を試みたこともある。

 30〜40代のころは、幼稚園の年中児(4〜5歳)から、高校3年生まで教えていた。
そういう「波」を無数に経験して、現在は、「なるようになれ」が、教育の基本になって
いる。
深く考えない。
子どものことだけを考えて、教える。
教えるというより、接する。
親の要求には、際限がない。
それに振り回されていたのでは、教育そのものが成り立たない。

 が、このところ体力的な限界を感ずることが多くなった。
よく誤解されるが、教育は重労働である。
どう重労働であるかは、実は、あなた自身が、いちばんよく知っているはず。
たった1人や2人の子どもですら、たいへん。
それを30人とか40人とか、教える。
まともに接したら、目が回る。
その中に問題のある子どもが含まれていたら、なおさら。
さらに問題のある親が介入してきたら、……!

●親の欲望

 ここで「親の欲望には際限がない」と書いた。
が、これは事実。

 進学校にしても、自分の子どもがB中学へ入れるとわかってくると、親は、今度は
「何とかA中学へ」と言い出す。
A中学へ入れそうになると、今度は、「S中学へ」と言い出す。

 また不登校児にしても、やっとのことで、午前中登校ができるようになると、
「せめて給食まで」となる。
給食を食べるようになると、「午後の授業も」と言い出す。

 それに振り回される学校の教師こそ、えらい迷惑。
(「迷惑」という言葉には、語弊があるが……。)
 私の教室で言えば、実のところ、問題をもった子どもほど、苦労する。
マンツーマンどころか、ワイフにも手伝ってもらって、2対1で教える。
が、そういう子どもがいると、ほかの子どもたちが、やめていく。
それでいて、その子どもが感謝するかといえば、そういうことは、絶対にない。
むしろいやなことをさせられたという、被害者意識をもってしまう。
こういう子どもは、「経営」ということを考えるなら、とても割に合わない。
(これ以上、これについて書くと、グチになるので、この話はここまで。)

●「お前を訴えてやる!」

 親の無知と無理解。
独断と偏見。
傲慢とわがまま。

 今では幼稚園でも、「入れていただけますか?」と聞いてやってくる親は、ほとんど
いない。
おけいこ塾なら、なおさらそうで、へたに「うちではお引き受けできません」などと
言おうものなら、親は、店で販売拒否にでもあったかのように怒り出す。

「どうしてうちの子は、入れてもらえないのですかア!」と。
 私の教室のばあい、過去40年近く、入会を断わったことはほとんどない。
子どもに問題があるときは、その子どもに合わせて、2〜3人のクラスを編成して、
指導する。

が、それでもこのところ疲れを覚えるようになった。
子どもの「質」が変わったというより、親たちの「質」が変わった。
子どもというより、親を見て判断する。
「この親の子どもは、教えられない」と判断したときは、入会を断わるようにしている。
子どもの問題点を、それなりに理解しているならまだしも、それがないと指導ができない。
10年ほど前だが、場面かん黙症の子ども(幼稚園女児)がいた。
このタイプの子どもは、集団の中では、貝殻を閉ざしたかのようにかん黙してしまう。

 で、ある日、父親が参観にやってきた。
自分の娘の様子を見た。
ショックを受けた。
そのあとのこと。
その父親は電話口で、こう言った怒鳴った。
「貴様は、うちの娘を萎縮させてしまった。
訴えてやる。責任を取ってもらう!」と。

●教育ブルース

 ……こうして今日も、全国のあちこちから、子育てブルースが聞こえてくる。
どこか毒々しくて、それでいて、どこかもの悲しい。
みんな一生懸命しているはずなのに、どこかで歯車が狂う。
狂って、人の心をさみしくする。

 できるならニヒリズムは、もちたくない。
しかしニヒリズムをもたずして、教育はできない。
親にしても、自分で失敗してみるまでは、それがわからない。
あるいは今の状態より、より悪くなって、それまでの状態がまだよかったことを知る。

 最初は、ほんの小さな狂い。
それが加速度的に大きくなり、悪循環に悪循環が重なる。
気がついたときには、にっちもさっちもいかなくなっている……。

 ではどうするか?

 この問題だけは、親自身が、自ら気がつくしかない。
そのために自分で賢くなるしかない。
が、それを恐れてはいけない。
子育てには、その人の人生観、哲学、生き様すべてが集約される。
子育てを追求することは、その人の人生観を追求することにもなる。
奥は深い。
生涯のテーマとして、なんら遜色はない。
……とまあ、大上段に書いて、この稿はおしまい。
どうかみなさん、失敗にめげず、がんばってください!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子育てブルース)
(注※)難読症、失読症の症状

【幼児期】

Delays in speech
言葉の発達の遅れ。
Learns new words slowly
新しい言葉を学ぶのが遅い。
Has difficulty rhyming words, as in nursery rhymes
話す言葉がどこかぎこちない。ぎこちなさを感ずる。
Low letter knowledge
文字について能力が遅れる。
Letter reversal, ex: e b f p (normal)
鏡文字を書く。

【学童期】

Early primary school-age children(小学低学年児)
Difficulty learning the alphabet or in order
アルファベットを学ぶのが困難。
Difficulty with associating sounds with the letters that represent them
(sound-symbol correspondence)
その音を示す、文字と音を組み合わせるのが困難。
Difficulty identifying or generating rhyming words, or counting syllables in
words (phonological awareness)
文字を認識し、なめらかに文字を読むのが困難、あるいは単語の中の音節を数える
のが困難。
Difficulty segmenting words into individual sounds, or blending sounds to make
words (phonemic awareness)
単語をそれぞれの音に分離するのが困難。あるいは単語を作るため、音を混ぜるが
困難。
Difficulty with word retrieval or naming problems
言葉の訂正が困難、あるいはものと名前の結びつけるのが困難。
Difficulty learning to decode written words
表記文字を理解するのが困難。
Difficulty distinguishing between similar sounds in words; mixing up sounds in
multisyllable words (auditory discrimination) (for example, "aminal" for animal,
"bisghetti" for spaghetti)
単語の中の同じような音を区別するのが困難;たとえば「動物(どうぶつ)」を、「ど
うふづ」、「スパゲッティ」を「ビスゲッティ」と読むように、音節の多い単語の音
を混ぜてしまう。

【後期学童期】(小学、高学年児)

Older primary school children
Slow or inaccurate reading, although these individuals can read to an extent.
ある程度は読むことができるが、読むのが遅く、不正確。
Very poor spelling
綴りが苦手。
Difficulty reading out loud, reads word in the wrong order, skips words and
sometimes says a word similar to another word (auditory processing disorder)
大きな声で読むのが困難。前後の単語を入れ替えて読む、単語を飛ばす、あるいは
ほかの似たような単語に置き換えて文章を読む。
Difficulty associating individual words with their correct meanings
それぞれの単語を、正しい意味と結びつけるのが困難。
Difficulty with time keeping and concept of time, when doing a certain task
何かの作業をしているとき、時間を守るのが困難。時間の概念がない。
Difficulty with organization skills (working memory)
系統立てて作業するのが困難。
Children with dyslexia may fail to see (and occasionally to hear) similarities and
differences in letters and words, may not recognize the spacing that organizes
letters into separate words, and may be unable to sound out the pronunciation of
an unfamiliar word. (auditory processing disorder)
難読症の子どもは、文や単語の中の類似性や相違性を判断することができない。文
章の中の単語がスペース(空白)で区切られていることを認識することができない。
新しく出会った単語のようなばあい、それを発音することができない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 失読症 難読症 識字障害 文字表出能力障害 Dyslexia  Alexia 
ディスレクシア アレクシア)

+++++++++++++++++++

指導する側の立場で書いたエッセーです。

+++++++++++++++++++

●無知、無理解、無学

子育てで、何がこわいかと言って、無知(=親にその知識がない)、無理解(=子どもの症
状について、理解しようとしない)、無学(=親に学ぶ姿勢がない)の3つほど、こわいも
のはない。

 私はドクターではないから、診断名をくだすことはできない。しかしその子どもに、ど
んな障害があるかは、会ったその瞬間に、ある程度わかる。が、それを口に出すことはで
きない。わかっていても、知らぬフリをする。そんなときは、そのため、それとなく、親
に、さぐりを入れる。

 が、そういう親にかぎって、無知、無理解、無学。(失礼!)「できるだけ、避けて通り
たい」という親の気持ちも、理解できないわけではない。「たとえその疑いはあっても、信
じたくない」という親の気持ちも、理解できないわけではない。親としても、つらい。悲
しい。それはよくわかる。

たとえば7、8年前になるが、1人の女の子(小2)がいた。Hさんという名前の女の子だ
った。場面かん黙児だった。最初、父親に連れられて私の教室にやってきた。が、父親は、
自分の娘のことを、何も気づいていなかった。

 その日は、何とか、やり過ごした。が、つぎのときには、今度は母親に連れられてやっ
てきた。私は、それとなくさぐりを入れた。(さぐり)というのは、親がどの程度まで、自
分の子どもの問題点を理解しているか、それを知ることをいう。が、何を聞いても、即座
に返ってくるのは、反論ばかり。

私「静かなお子さんですね」
母「家では、ふつうにしゃべります」
私「学校では、どうですか?」
母「友だちとなら、会話できます。しかし、おとなが苦手です」
私「学校の教室では、どんな様子ですか?」
母「しゃべりません。とくに先生との相性が悪いようです」

私「幼児期に、どこかへ相談なさったことがありますか」
母「問題は、ありません。生まれつき、外では、静かな子どもです」
私「外で静かだということにお気づきになったのは、いつですか?」
母「言葉の発達が遅れたからです」
私「遅れたというのは……?」
母「今は、問題、ありません」と。

 その女の子には、かん黙児特有の、(遊離)が見られた。顔の表情と、心の状態(情意)
が不一致した状態をいう。いつもニンマリというか、ニコニコというか、意味のわからな
い笑みを浮かべていた。いやがっているはずのときも、怒っているはずのときも、意味の
わからない笑みを浮かべていた。同じかん黙児でも、こうした遊離が見られたら、(程度に
もよるが……)、症状は重いとみる。あるいは、すでに症状がこじれてしまっているとみる。

 もっと早い段階、たとえば3、4歳ごろにそれに気づき、適切な対処をしていれば、あ
る程度、遊離を防げたかもしれない。軽くすますことができたかもしれない。しかしそれ
は(過去)の話。教育の世界では、(今、そこにある現実)を原点に、ものを考える。親の
過去を責めても、意味はない。

 私はさらにさぐりを入れた。入れながら、親の口から、「かん黙」という言葉が出てくる
のを待った。しかし最後まで、その言葉は出てこなかった。ほんとうに無知なのか? そ
れとも隠しているのか? 私には判断できなかった。

 で、このタイプの子どもの指導のむずかしい点は、(1)集団に溶け込まないこと。(2)
心を開かないから、心の交流ができないこと。(3)ストレスを、内へ内へとためやすいた
め、予期せぬ問題が、発生しやすいこと。そのときすでに、その女の子には、家庭内暴力
的な様子が、始まっていた。母親は、こう言った。

 「学校から帰ってくると、私に向かってはげしい暴力を振るうことがあります」と。

 つまり教える側からすると、腫れ物に触れるかのような、細心で、デリケートな指導が
必要となる。何を考えているか、わからない。それがつかめない。そのため教えるといっ
ても、まさに手さぐりの神経戦。ピンと張り詰めたような神経戦。それが一瞬、一秒とい
う単位でつづく。突然、キレて、暴れ出すこともある。若いときなら、神経戦もできるが、
当時すでに私は50歳を超えていた。神経戦は、つらい。

 が、何よりも大きな問題は、そういう問題がありながらも、親自身が、それに気がつい
ていないこと。気がついていれば、話もできる。指導もできる。が、そこにある問題から、
親が目をそらしてしまっているばあい、指導そのものができない。

またこのタイプの親は、やめるのも、早い。少しやってみて効果がないとわかると、(そん
なに簡単に効果が現れるということはないのだが……)、「この教室はだめだ」というよう
な判断をくだして、子どもの手を引っ張って、そのままやめてしまう。

 その女の子のばあいも、私は、こう言った。「簡単には、いきませんよ。1年とか、2年
とか、あるいはもっとかかるかもしれません」と。しかし母親は、こう反論した。「うちの
子は、慣れれば、だれとでも話をします。話をしないのは、慣れていないだけです」と。「と
にかく、教室へ置いてくれれば、それでいい」とも、言った。

 事実、その女の子は、そのあと数か月程度で、私の教室を去っていった。

 かん黙児……。その中でもとくに指導がむずかしいのは、場面かん黙児。親は、「家では
ふつうです」と、がんばる。子ども自身に問題があるとは、思っていない。だから、その
問題点に気づくこともない。

 だから私は、当時、こう書いた。「親の、無知、無理解、無学ほど、こわいものはない」
と。

(付記)

 かん黙児にかぎらず、情緒そのものに障害がある子どもは、けっして、無理をしてはい
けない。「直そう」とか、「治そう」と考えてはいけない。そういう子どもであることを認
めた上で、その子どもに合った指導をするのがよい。(親にそれを認めさせるまでが、たい
へんだが……。)あとは、時期を待つ。子ども自身がもつ自律能力を待つ。

かん黙児にしても、その年齢がくれば、何ごともなかったかのように、終わる。小3〜4
年生を境に、症状は急速に改善する。(症状をこじらせれば、その時期は、ぐんと遅くなる。
あるいは、別の問題を引き起こす。)

 無知、無理解、無学が原因で、たいていの親は、無理をする。この無理が、こわい。「そ
んなはずはない」「うちの子に限って」と、子どもをはげしく叱ったりする。そのため症状
を、かえってこじらせてしまう。子ども自身が自分で立ちなおるのを、遅らせてしまう。

 そこで学校教育の場では、それとなく親に、学校医もしくは専門医の紹介をしたりする。
「一度、専門医に相談してみてはどうですか?」と。

 こうした働きかけがあったら、親は、すなおにそれに応ずるのも、大切なことではない
だろうか。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 場面かん黙 場面かん黙児 緘黙児 はやし みこ なっちゃんの声)

+++++++++++++++++++++

2003年に書いた原稿です。
古い原稿なので、随所に、知識不足な点も
あります。

+++++++++++++++++++++

●かん黙児について



【かん黙についての相談より】



はじめまして。やっと先生のHPにたどりつきました。

私には年中の七月に五歳になったばかりの長男と、三歳の二男がおりますが、長男のこと
でご相談いたします.



長男は、家では明るくひょうきんでお調子者の元気な子ですが、一歩外へ出ると、なぜか
ほかの子どもとは話しをすることができません。(大人とは会話をすることもあるのですが)。
話し始めたのは割と早かったのですが、五歳になる現在まで息子が友だちと楽しくおしゃ
べりする姿をみたことがありません。



赤ちゃんの頃から人見知りが激しく、私からなかなか離れられない子だったので、性格か
な?
 と思っていたのですが、いまだに治らないので、これは何かほかに問題があるのかなと
思い始めました。



幼稚園でも友だちの間には入っていけないらしく、担任の先生が友だちとの中に入って仲
立ちをしてくれています。



友だちから誘われると遊びはするものの、なぜか話しをすることができないということで
す。(してもあいづちを打ったり、うんとかううんとか言う程度だそうです)。先生には話し
はできます。



四月より二年保育で幼稚園に通い始めましたが、喜んで通ってはいません。時々園バスを
待つとき泣いたり、行きたくないようなことを言います。でも帰ってくると幼稚園は楽し
いとは言います。



公園で遊んでいても、同じ年くらいの子がそばに寄ってくると顔がくもったり、逃げたり、
不安そうな顔をしたりします。



息子は家では電車や車で町をつくったり、絵を描くのがすきです。それと数字や字を書く
ことにとても興味があり、教えることもないのにどんどん覚えていきます。それとピアノ
がすごく好きで、耳から聞く曲を、ピアノでそのまま弾いてみせたりしてびっくりするこ
とがあります。



子どもと話しのできないかんもく症というのはあるのでしょうか? 親としてどうこの子
に接してやればいいのでしょう?



少しでも友だちと遊ぶことの楽しさを子どもに味あわせてやりたいのです。先生のアドバ
イス心よりお待ちしております。

(長野県S市・SY母親より)



【はやし浩司より、SYさんへ】



 かん黙傾向というのは、広く、いろいろな情緒障害の随伴症状として見られるものです。
ですから、かん黙傾向があるからといって、かん黙児ということにはなりません。たとえ
ば対人恐怖症の子どもは、やはり人前では、ほとんどしゃべりません。



 で、そのかん黙傾向が、ふつうの人間関係を結べないほどまでに強くなった状態を、か
ん黙と言います。かん黙児の特徴については、ここに原稿を添付しておきます。参考にし
てください。いただいたメールだけではよくわかりませんが、私は、心配されるようなか
ん黙児ではなく、ここに書いた対人恐怖症ではないかと思います。「時々園バスを待つとき
泣いたり、行きたくないようなことを言います。でも帰ってくると幼稚園は楽しいとは言
います」という、一日の中において、症状が変化するところに、それを感じました。これ
を「症状の日内変動」と言いますが、広く、恐怖症全体に共通して見られる症状だからで
す。



 原因については、今さら問題にしても意味はありませんが、考えられるのは、最初の段
階で、人に対して、恐怖心を覚えたということです。つまり親と子だけのマンツーマンの
子育てが中心だったのが、外へ出され、そこで人に対して、恐怖心を覚えたということで
す。「人見知りが強かった」ということですが、そのとき、親が無理をしたか、あるいは突
き放すようなことをしたのかもしれません。



 そういう意味では、情緒が不安定な子どもということになります。ただ誤解してはいけ
ないのは、情緒が不安定というのは、あくまでも結果でしかないということです。わかり
やすく言えば、あなたの子どもは、心の緊張感がとれない、ほぐれない状態にあるという
ことです。その緊張している状態のところに、心配や不安が入りこむと、それを解消しよ
うと、一挙に、情緒が不安定になる。それが今の状態だということです。



 この緊張感は、なかなかとれません。五、六歳児ならなおさらで、それこそ一年単位の
ケアが必要です。あるいは安静になったと思っても、簡単なきっかけで再発します。心と
いうのは、そういうものです。もっと言えば、SYさん自身も、子どもに対して、全幅に
心を開いていない、つまり日常的に、ある種の緊張感を覚えている可能性もあります。子
どもの心というのは、そういう意味で親の心を写す、カガミのようなものです。あなた自
身のことも反省してみてください。なお恐怖症の原稿も、ここに添付しておきます。



 さてSYさんの相談で、一番気になるのは、三歳の二男のことです。逆算すると、人見
知りを始める、ちょうど、満一歳前後から、満一・五歳前後にかけて、下の子どもが生ま
れたことになります。もっとも親に甘えたいときに、下の子が生まれたということになり
ます。この段階で、子どもの情緒が一挙に不安定になったと考えられます。いただきまし
たメールを読むかぎり、赤ちゃんがえりの一つの変形タイプではないかと推察されます。
どこかで「あなたはお兄ちゃんだから」式の、突き放しをしていませんか。決して、赤ち
ゃんがえりを安易に考えてはいけません。それはちょうど、あなたの夫が、ある日突然、
愛人をあなたの家に連れこむようなものです。あなたははたして平静でいられるでしょう
か。



 あくまでもいただいたメールの範囲ですが、いわゆるかん黙児ではないと思います。考
えられるのは、赤ちゃんがえりがこじれた、対人恐怖症ではないかと思います。あくまで
も一つの意見として参考にしてください。かん黙児は、おとなとは、絶対に話をしません。



 ただ一つ気になるのは、自閉傾向があるということ。(自閉症ではありません。誤解のな
いように!)カラに閉じこもるような傾向を見せたら、何らかの方法で、外へ引き出して
あげるとよいでしょう。(ただし無理をしてはいけません。)「それと数字や字を書くことに
とても興味があり、教えることもないのにどんどん覚えていきます。それとピアノがすご
く好きで、耳から聞く曲を、ピアノでそのまま弾いてみせたりしてびっくりすることがあ
ります」というところに、私は、それを感じます。



 心のケアとして大切なことは、濃厚なスキンシップを与えるということです。とくに子
どもがときどき、思いついたように求めてくるスキンシップについては、絶対に(絶対に!)
拒んではいけません。求めてきたら、グイと力強く抱く。しばらく抱いていると、やがて
満足して体を離すようになります。それまで、子どもを抱きます。



 またこの際、弟さんには悪いですが、全幅の愛情を、もう一度、子どもに戻してみます。
添い寝、手つなぎ、抱っこなど。そして半年単位で、少しずつ、離れていきます。スキン
シップには魔法の力があります。どうかそれを信じて、一度、ためしてみてください。



 なお。こうした心の問題は、「なおそう」と考えてはいけません。「今の状態をより悪く
しないこと」だけを考えて対処します。「あなたはよくがんばっているよ」「すてきだわ」
式の前向きなストロークをかけてあげます。今、あなたの子どもは、体を使って、愛情不
足を訴えています。



 最後に「ほかの子どもと楽しく遊ばせてあげたい」という、親のエゴを子どもに押しつ
けてはいけません。五歳前後から、子どもは、幼児期から少年期への移行期(中間反抗期)
に入ります。この時期、子どもは、カラを脱ぐようにして、少年になっていきます。決し
て、あせってはいけません。あなたがそれを「悪いこと」と決めてかかればかかるほど、
自我の同一性が乱れます。あるがままを認めながら、「あなたはそれでいいのよ」と自信を
もたせてあげてください。



 今、たいへん微妙な段階にあると思います。幼稚園にせよ、無理をしないで、ときどき
行けばよい式に考えてください。心が発熱していると思えば、よいのです。それともあな
たは熱がある子どもを、幼稚園へ行かせますか? だいたい幼稚園へ、喜んでいく子ども
など、少ないのです。とくにあなたの子どもはそうではないでしょうか。



 あとはCA、MGの多い食生活に心がけ、「暖かい無視」のある生活をしてみてください。
では、また何か、変化があれば、ご連絡ください。お待ちしています。



 なおこの原稿は、七月二一日号のマガジンに掲載しますが、よろしくご了解ください。
不都合な点があれば、至急、ご連絡ください。改めます。



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(参考)



●かん黙児

 かん黙児……家の中などではふつうに話したり騒いだりすることはできても、場面が変
わると貝殻を閉ざしたかのように、かん黙してしまう子どもを、かん黙児という。通常の
学習環境での指導が困難なかん黙児は、小学生で一〇〇〇人中、四人(〇・三八%)、中学
生で一〇〇〇人中、三人(〇・二九%)と言われているが、実際にはその傾向のある子ど
もまで含めると、二〇人に一人以上は経験する。



●ある特定の場面になるとかん黙するタイプ(場面かん黙)と、場面に関係なくかん黙する、全
かん黙に分けて考えるが、ほかにある特定の条件が重なるとかん黙してしまうタイプの
子どもや、気分的な要素に左右されてかん黙してしまう子どももいる。順に子どもを当て
て意見を述べさせるようなとき、ふとしたきっかけでかん黙してしまうなど。



 一般的には無言を守り対人関係を避けることにより、自分の保身をはかるために、子ど
もはかん黙すると考えられている。これを防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園したと
きをきっかけとして発症することが多く、過度の身体的緊張がその背景にあると言われて
いる。



 かん黙状態になると、体をこわばらせる、視線をそらす(あるいはじっと相手をみつめ
る)、口をキッと結ぶ。あるいは反対に柔和な笑みを浮かべたまま、かん黙する子どももい
る。心と感情表現が遊離したために起こる現象と考えるとわかりやすい。

かん黙児の指導で難しいのは、親にその理解がないこと。幼稚園などでその症状が出たり
すると、たいていの親は、「先生の指導が悪い」「集団に慣れていないため」「友だちづきあ
いがヘタ」とか言う。「内弁慶なだけ」と言う人もいる。そして子どもに向かっては、「話
しなさい」「どうしてハキハキしないの!」と叱る。しかし子どものかん黙は、脳の機能障
害によるもので、子どもの力ではどうにもならない。またそういう前提で対処しなければ
ならない。



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(参考2)



心の病気



 心も、ときに病気になる。その代表的なものに、(1)抑うつ神経症、(2)不安神経症、
(3)強迫神経症、(4)心気神経症、(5)恐怖症などがある。この中でとくに(1)抑
うつ神経症を、「心の風邪」と言う人がいる。となると、(2)不安神経症は、下痢、(3)
強迫神経症は、頭痛、(4)心気神経症は、胃炎、(5)恐怖症は、二日酔いということか。
あまりよいたとえではないかもしれないが、要するに、だれでも、下痢をしたり、頭痛に
なったりするように、簡単に不安神経症になったり、強迫神経症になったりするというこ
と。



 私のばあい、いつもこのどれかを経験している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(6)抑うつ神経症

ときどきワイフが先に死んだら、どうしようかと考える。ひとりで生きていく自信は、私
には、まったくない。しかし一度、そう考えだすと、生きる目的すら、なくしてしまう。
今までの人生があっという間に終わったように、これからの人生も、あっという間に終わ
ってしまうだろうとか、私の老後は、孤独であわれなものになるだろうとか、そんなこと
まで考える。ただ私のばあい、病識(自分で病気とわかること)があるので、それなりに
対処できる。「今の私は、本当の自分ではない」と考えて、カルシウム剤をたくさんとって、
睡眠時間を長くしたりする。軽いばあいには、たいてい翌朝にはなおっている。心がふさ
いで重苦しく、晴れないことを、抑うつ神経症という。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(7)不安神経症

一度、パソコンにウィルスが侵入したのではないかと、大あわてしたことがある。心臓は
ドキドキし、体中から冷や汗が出た。最終的には、パソコンをリカバリーをすることで問
題を解決したが、夜中に始めて、一段落したころには朝になっていた。ほかに私はちょっとした
ことで、被害妄想がとりとめなく大きくなることがある。つぎつぎとものごとを悪
いほうへ、悪いほうへ考えてしまう。俗にいう、とりこし苦労タイプの人間である。あと
になって、「どうしてあんなことで悩んだのだろう」と思うことが多い。突発的にはげしい
不安感に襲われ、呼吸が苦しくなったり、動悸がはげしくなることを、不安神経症という。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(8)強迫神経症

山荘には、防犯装置と、自動火災連絡装置が設置してある。自動火災連絡装置というのは、
山荘内で、ガス漏れや火災があったとき、私の自宅のほうに電話がかかってくるしくみの
装置をいう。で、一度だけだが、それがかかってきたことがある。私はあわてて山荘へ向
ったが、そのときは、本当に生きた心地がしなかった。途中、携帯電話で隣人に電話をし
たが、あいにくと隣人は不在。が、その直後からおかしな現象が起きた。山荘でたき火を
したあとなど、水で火を消すのだが、いくら消しても、どこかもの足りなさを覚えた。た
き火コーナーが、プールのように水びたしになっても、不安感が消えなかったこともある。
自分の意思に反して、勝手に悩んだり、心配したりすることを、強迫神経症という。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(9)心気神経症

今まで経験しなかったような病状が現れたりすると、「もしや」と思うことがある。数か月
前だが、生徒たちからたくさんのチョコレートをもらった。そのチョコレートを食べ過ぎ
たせいか、脳が一時的に覚醒(興奮)状態になってしまった。(私は本当はチョコレートは食べら
れない体質。)脳が勝手に乱舞してしまった。私はそのときはチョコレートのせいだとはわから
なかったので、脳腫瘍ではないかと疑ってしまった。とたん、極度の不安状態
になってしまった。ワイフが「何でもないわよ」となだめてくれたが、私はフトンの中で、
体を丸めてガタガタ震えていた。悪い病気にかかってしまったのではないかと、極度の不
安状態になることを、心気神経症という。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(10)恐怖症

私には高所恐怖症や閉所恐怖症にあわせて、飛行機恐怖症などがある。恐怖症というのは、
一度なると、いろいろな形で現れてくる。数年前は、あやうく交通事故を起こしかけたが、
そのあと、私は自転車に乗られなくなってしまった。夜、自転車で道路を走っていたが、
走っている車が、どれも私のほうに向って走ってくるように感じた。私は数百メートル走
っては自転車からおり、また走ってはおりた。あとでみたら、手が、汗でべっとりと濡れ
ていた。何かとくべつのことで、ものごとに激しい恐怖感を覚えることを、恐怖症という。
ほかに動物恐怖症、お面恐怖症、先端恐怖症などもある。



 私のばあい、肉体的には健康だが、精神的にはあまり健康ではない。よく落ちこむし、
ときに激怒して、自分がわからなくなることがある。ここにあげた恐怖症にせよ、強迫神
経症にせよ、いろいろな形で、よく経験する。



 こういう心の病気になったとき、こわいのは、脳のCPU(中央演算装置)が狂うため
か、狂っている私のほうが正しいのか、そうでないときの私のほうが正しいのか、それが
わからなくなること。たとえば抑うつ状態になったとき、かえってそうでない人のほうが、
おかしく見えるときがある。私のことで言うなら、落ちこんでいる自分のほうが、本当の
自分のように思うことがある。そして「今まで落ちこまなかったのは、私がバカだったか
ら」というような考え方をしてしまう。



 また恐怖症にせよ、心気神経症にせよ、私の経験からしても、自分ではコントロールで
きないということ。自分に「だいじょうぶだ」と何度言い聞かせても、もう一人別の自分
が、それを打ち消してしまう。あるいは頭の中ではだいじょうぶと思っていても、体は勝
手に動いてしまう。もう二〇年近くも前のことだが、私はテレビのアンテナをつけるため
に、屋根にあがったことがある。しかしおりるとき、勝手に足がすくんでしまい、それ以
上、動けなくなってしまった。結局、近くの電気屋さんに来てもらい、助けてもらったが、
そのときも、いくら「だいじょうぶだ」と自分にってきかせても、自分では、どうしよう
もなかった。



 だから……。今、いろいろな心の病気をかかえた子どもに接すると、そういう子どもの
心の状態がよくわかる。親は、「気のせいだ」「気はもちようだ」などと言うが、私はそう
は言わない。先日も「トンネルがこわい」と訴えてきた小学生(小一男児)がいた。その
子どもに接したときも、私は、こう言った。「こわいよね。ぼくもトンネルがこわくて、と
きどき入れないときがある。天井がコンクリートか何かで、しっかりしていればいいけど、
岩がむき出しであったりすると、ぞっとするね」と。



 熱を出して苦しんでいる子どもに無理をさせないように、心の病気にかかっている子ど
もに無理をしてはいけない。心の病気は、外から見えないだけに、親は安易に考える傾向
があるが、決して安易に考えてはいけない。こじらせればこじらせるほど、立ちなおりが
むずかしくなる。

(030713)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●場面かん黙の子どもたち

林様(はやし・みこ様、「なっちゃんの声」の著者)へ
 
おはようございます。
 
まったくおっしゃる通りです。
場面緘黙も、早期に指導すれば、「なおり」ます。
年長児になってからだと、たいへんむずかしいですが、
年中児くらいだと、親にそれと気づかせないまま、
私のばあい、「なおしてしまします」。
 
さらに症状がこじれると、(表情)と(情意=心)が遊離し、
何を考えているかわからなくなります。
意味のわからない柔和な笑みを浮かべたままになります。
こうなると、たいへん指導がむずかしくなります。
 
が、体をこわばらせる程度の症状であれば、一度、みなと、
ゲラゲラ笑わせるだけで、(といっても、簡単なことでは
ありませんが)、そのままなおってしまいます。
 
が、やはり「診断名」を口にするのは、私にはできません。
「もしまちがっていたら……」という思いの中で
苦しみます。
(迷うのではなく、苦しみます。)
ですから親には告げないで、私のばあい、なおしてしまいます。
 
実は、少し前も、それがありました。
幼稚園では、入園以来一言も話さなかった子どもが、
2度目のレッスンで、声を出しました。
(一度目は、お母さんといっしょに、うしろで見学していました。)
年中児です。
 
母親と伯母がうしろでそれを見ていて、
「Mちゃんが声を出している!」と驚いていました。
その家族にしても、「かん黙」という言葉をこの先、
知ることはないでしょう。
 
私はこの方法で、軽い自閉症、発語障害など、
なおしています。
もちろん「直す」とか「治す」という言葉は、いっさい、使いません。
 
林様とは、立場がちがうので、対処の仕方もちがってきます。
また何度か親とのトラブルがあると、それがトラウマに
なってしまいます。
実際、「お前を訴えてやる」と父親に怒鳴り込まれたこともあります。
「お前がうちの娘を、萎縮させてしまった!」とです。
で、そのとき私は、父親にこう言いました。
 
「訴えるのは、あなたの自由ですが、一度、私の
レッスンを見てから訴えなさい」と。
 
それから数回、父親はうしろで参観していました。
で、その数回の参観が終ったあと、私にこう言いました。
「よくわかりました。すみませんでした」と。
 
いろいろなドラマがあります。
……ありました。
おっしゃるとおり、早期に気がつき、そのとき、「殻(から)」
から引き出してやる。
それがそのまま治療法ということになります。
私の場合、幼児を笑わせることだけを考え、指導して
います。
いろいろ誤解もありましたので、ここ数年は、
レッスンの内容を、すべて公開しています。
(もうすぐ教室を閉鎖しなければならないかもしれない
という思いもあるからです。)
 
「笑えば、子どもは伸びる」。
これが私の教え方です。
何かの参考にしていただければ、うれしいです。
 
しかし、ね。
場面かん黙などというものは、何でもない問題ですよ。
「この子は、こういう子」と認めてしまえば、何でもない問題ですよ。
日本人は、どうしても「ふつう」という基準を作ってしまう。
民族的な悪いクセです。
その「ふつう」に合わないと、何でも「異常」扱いしてしまう。
しかしこれは世界の常識ではありません。
不登校児にしても、そうです。
アメリカでは、ホームスクーラーが、2000年には200万人
を超えたはずです。
 
で、そういう子どもたちのために、州政府が、
指導者を用意し、教材まで用意しています。
そういうフレキシブルな教育システムが確立しています。
どうして日本は、もっと心を広くして、子どもの多様性を
認めないのでしょうか。
 
いいじゃないですか、静かな子どもがいても……。
 
そうすれば、たとえばかん黙児という診断名にしても、
どこかへ吹き飛んでしまうはずです。
 
たいせつなことは、その子どもが、生き生きと自分の
人生を前向きに生きていくこと。
またそれをみなが、認めあうこと。
それにまさる価値はありません。
 
12年ほど前、中日新聞に書いたコラムです。
そのまま紹介します。

                はやし浩司
 
************************
 
●日本の常識、世界の標準?

 『釣りバカ日誌』の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに行く。見慣れたシーン
だが、欧米ではああいうことは、ありえない。たいてい妻を同伴する。

向こうでは家族ぐるみの交際がふつうで、夫だけが単独で外で飲み食いしたり、休暇を過
ごすということは、まず、ない。そんなことをすれば、それだけで離婚事由になる。

 困るのは『忠臣蔵』。ボスが犯罪を犯して、死刑になった。そこまでは彼らにも理解でき
る。しかし問題はそのあとだ。彼らはこう質問する。「なぜ家来たちが、相手のボスに復讐
をするのか」と。

欧米の論理では、「家来たちの職場を台なしにした、自分たちのボスにこそ責任がある」と
いうことになる。しかも「マフィアの縄張り争いなら、いざ知らず、自分や自分の家族に
危害
を加えられたわけではないのだから、復讐するというのもおかしい」と。

 まだある。あのNHKの大河ドラマだ。日本では、いまだに封建時代の圧制暴君たちが、
あたかも英雄のように扱われている。すべての富と権力が、一部の暴君に集中する一方、
一般の庶民たちは、極貧の生活を強いられた。もしオーストラリアあたりで、英国総督府
時代の暴君を美化したドラマを流そうものなら、それだけで袋叩きにあう。

 要するに国が違えば、ものの考え方も違うということ。教育についてみても、日本では、
伝統的に学究的なことを教えるのが、教育ということになっている。欧米では、実用的な
ことを教えるのが、教育ということになっている。しかもなぜ勉強するかといえば、日本
では学歴を身につけるため。欧米では、その道のプロになるため。日本の教育は能率主義。
欧米の教育は能力主義。

日本では、子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言うが、アメ
リカ(特にユダヤ系)では、「先生によく質問するのですよ」と言う。

日本では、静かで従順な生徒がよい生徒ということになっているが、欧米では、よく発言
し、質問する生徒がよい生徒ということになっている。日本では「教え育てる」が教育の
基本になっているが、欧米では、educe(エデュケーションの語源)、つまり「引き出
す」が基本になっている、などなど。

同じ「教育」といっても、その考え方において、日本と欧米では、何かにつけて、天と地
ほどの開きがある。私が「日本では、進学率の高い学校が、よい学校ということになって
いる」と説明したら、友人のオーストラリア人は、「バカげている」と言って笑った。そこ
で「では、オーストラリアではどういう学校がよい学校か」と質問すると、こう教えてく
れた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。チャールズ皇太
子も学んだことのある由緒ある学校だが、そこでは、生徒一人一人に合わせて、カリキュ
ラムを学校が組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように、
と。そういう学校をよい学校という」と。

 日本の常識は、決して世界の標準ではない。教育とて例外ではない。それを知ってもら
いたかったら、あえてここで日本と欧米を比較してみた。 
1999年記
 
 
************************
 

【常識が偏見になるとき】 



●たまにはずる休みを……!



「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、た
いていの人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。
しかしそれこそ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。



アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のときにもっ
た偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑っ
てみる。たとえば……。



●日本の常識は世界の非常識



(1)学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度があ
る。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希
望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。



日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけ
でも九七年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。毎年15%前後の
割合でふえ、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。



それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教
育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修
会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約
千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。



(2)おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、
クラブへ通う。早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。ド
イツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決める
ことができる。



そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習ク
ラブは学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が1200円前後(2
001年調べ)。こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、2
30マルク(日本円で約14000円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助
金は、子どもが就職するまで、最長二七歳まで支払われる。



 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣
向と特性に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学
校外教育に対する世間の評価はまだ低い。



ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をも
たない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号
すら親には教えない。私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」
と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう
教えてくれた。「そういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待ってい
ると、先生のほうから電話がかかってきます」と。



(3)進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私
立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で70校近くあった。が、私はそれを見
て驚いた。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別
紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。



この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨
てた。そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう
話してくれた。



 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャール
ズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校が
カリキュラムを組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。
木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」
と。



なおそのグラマースクールには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出す
と同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。



●そこはまさに『マトリックス』の世界



 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなこ
とでも、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、
あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何
か。教育はどうあるべきか。さらには子育てとは何か、と。



その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。学校神話とはよく言ったもので、
「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を
信仰している。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。それはまさに映画
『マトリックス』の世界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だ
と気づかない。気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。



●解放感は最高!



 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さ
んと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそう
した。平日に行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私
が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人
ほど、一度試してみるとよい。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことがで
きる。



※……一週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午
後三時まで学校で勉強し、火曜日は午後一時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決
めることができる。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●「自由に学ぶ」



 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On
Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。



 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると
考えてよい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいもので
しかない。それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の
上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。



 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由
と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)
学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。いわく、「民主主義
国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているでは
ないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはな
らない」と。



 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という
意見には、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の
犯罪率はむしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考える
のは正しくない。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察シ
ステムや裁判所システムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと
別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。



 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえ
ている。なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。中
学生では、38人に1人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、400
0人多い。

(はやし浩司 フリースクール 自由な教育 LIE Learn in Freedom 不登校 常識論 
意識 はやし浩司 教育評論 教育論)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●6か国協議について(中国を警戒しよう)


+++++++++++++++++++++


現在、6か国協議は暗礁に乗り上げている。
「南北会談が先」と主張するアメリカ。
「6か国協議が先」と主張する中国と北朝鮮。


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●チベット問題


中国がどんな国であるかを知りたかったら、
チベット問題を見ればわかる。
中国は、「話せばわかる」と考えていつ人は多い。
しかし中国いうような国は、そんな甘い国ではない。
今までの経緯を知れば、それがわかる。
そのひとつがチベット問題。


1949年、時の毛沢東は、大軍隊を
チベット高原に送り込み、力ずくで
チベット高原全体を、中国の領土に組み込んで
しまった。


現在のチベット自治区、青海省、甘粛省、
四川省(以上をまとめて、チベット高原という)
が、それである。


その間に、100万人以上ものチベット人が
殺されている。
総人口が600万人だから、6分の1。
日本の人口に換算するなら、2000万人が殺された
ことになる。


今の今ですら、インド側に亡命する人は、
後を絶たない。
その中の1人が、ダライラマ14世。
非暴力主義を訴え、平和と自治政府の樹立を
求めつづけている。
が、中国は、それすらも一方的に無視。
現在の今でも、中国人によるチベット人への
弾圧はつづいている。


「チベット国旗に似ているものを所持して
いただけで、7年間も投獄された例がある」
(「世界の大疑問」Gakken)という。


●中国の隠された意図


そういう国に、そもそも6か国協議の
議長国を任せたのが、まちがい。
もとから北朝鮮の核開発問題を解決しようなどと
いう意思そのものがない。
一方で北朝鮮を適当に泳がせながら、
自国の存在感を、内外にアピールしているだけ。


もともと中国にしてみれば、北朝鮮の核兵器など、
痛くもかゆくもない。
いざとなれば、1日で、北朝鮮を叩きつぶす
ことができる。
今の今ですら、中国さえ本気になれば、北朝鮮の
核開発問題など、1日で解決する。
食料の援助を、停止すればよい。
が、中国は、それをしない。
しないばかりか、裏で北朝鮮を援助しつづけている。


どうしてこんな状態で、6か国協議なのか。
アメリカ、日本、それに韓国は、中国の
腹黒い意図にもてあそばれているだけ。


が、これに対して、多くの専門家は、
「中国は朝鮮半島の混乱を望んでいないから」と
いうようなことを主張している。


本当に、そうか?
本当に、そう考えてよいのか?


●中国はそんな甘い国ではない


中国は、そんな甘い国ではない。
チベット問題だけではない。
ほかにも南沙諸島問題がある。
台湾問題がある。
(台湾問題が片づけば、つぎはいよいよ沖縄だぞ!)
シンキョウ・ウイグル自治区問題がある。
このウイグル自治区問題は、チベット自治区
問題と、内容がたいへんよく似ている。


中国はある日突然、大軍隊を送って、
一方的に、その「地区」を支配下に置く。
置いた後、中国人の入植者をどんどんと
送り込む。
なし崩し的に、その「地区」を自国に
併合する。


このシンキョウ・ウイグル自治区問題が
チベット問題とちがう点は、現在の今も、
弾圧がつづいているという点。


中国政府は、理由にもならない理由を
こじつけ、「過激派?」を、どんどんと
投獄している。
闇から闇に葬られた人は、2009年
だけでも、1万人と言われている(同書)。


そこで6か国協議。


中国のねらいは、ズバリ、朝鮮半島の中国化。
豊富な地下資源をもつ北朝鮮を、自国の
支配下に置くこと。
少なくとも、韓国やアメリカの支配下には
置かせない。
中国はその野望を捨ててまで、6か国協議に
協力するはずはない。


●一方、この日本では?


悪党か悪党でないかは、相対的なもの。
大悪党を前にすれば、小悪党でも、善人に見える。
中国を大悪党とするなら、アメリカは小悪党。


が、善人でも、悪党に仕立て上げられる。
それこそ重箱の隅をほじくり返し、ささいな罪を
おおげさに騒げばよい。


たまたまおととい、日本の外務大臣が辞任した。
理由は、「外国人からの献金」?
が、金額が知れている。
4年間で、計20万円。
毎年、5万円。
野党は、まるで鬼のクビでも取ったかのように、
はしゃいでいる。


が、今は、そんな「時」ではない!
こんなささいな問題で、足の引っ張り合いをしている
場合ではない!
が、今度は、厚生労働大臣の失言問題?
今は、挙国一致態勢で、内外の問題に対処すべきとき。


リビアの内戦では、すでに何万人もの人たちが
犠牲になっている。
原油価格は上昇し、へたをすれば、それが日本の
国家破綻の引き金を引くことになってしまうかも
しれない。
そんなときに、何が5万円だ!
何が失言問題だ!


……というか、すでにもう手遅れ。
外務大臣が辞任を表明したとき、私はこう思った。
「これで日本も、おしまいだな」と。
私がそう見ているというよりは、世界がそう見ている。
「日本政府に、政権統治能力なし」と。


世界は、(1)増税と、(2)歳出カットを、日本が
どう処理するか。
それを固唾(かやず)を飲んで、見守っていた。
その結果が、これ。


何も民主党を支持するわけではないないが、
日本をここまでメチャメチャにしたのは、
ほかならぬ自民党ではないのか。
少しは恥を知れというか、謙虚になれ。


●では、日本は?


話はそれたが、どうして日本は、もっと
国際問題を論じないのか。
重箱の隅をほじくり返すような時間と
エネルギーがあるなら、それを世界で
使えばよい。


こんな小さな国の中で、足の引っ張り合いばかり
していて、何になる。
5万円の献金問題にしても、失言問題にしても、
「ハハハ」ですむ話ではないか。


たまたま今朝も、こんなニュースが朝刊に
載っていた(2011/03/08)。
何でもあの中国が、レアアースの代替研究を
共同でしようと、日本にもちかけてきたという。
理由など、何でもよい。


が、こんなバカげた提案に日本は乗ってはいけない。
乗る必要もない。
日本は中国の助けなど、必要としていない。
何が「共同」だ?


中国が言う「共同」の中身は、すでに6か国協議で
証明済み。
忘れてならないのは、……つまり私たち日本人が
肝に銘じておかねばならないのは、中国は、
北朝鮮よりタチの悪い、独裁国家であるということ。
無数の核兵器をもち、すでに実戦配備につけている。


その上、今度は空母だの、ステルス戦闘機だの……。
中国の領土的野心は、とどまるところを知らない。
いいか、台湾問題のつぎは、沖縄だぞ。
沖縄の領有権問題だぞ。


こういう巨悪が日本の外で、渦を巻いている。
なのに、この日本は……!


そういうことを知ってほしかったから、今朝は
中国問題を取りあげてみた。


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