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最前線の育児論                  

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【浜松市・呉竹荘(ホテル・ヴィラくれたけ)にて】(がん検診無罪判決を祝って)

DSC01475.JPG

●無罪

 今夜は、市内のホテルに一泊。
がん検診の無罪判決を祝うため。
浜松周辺では第一のビジネスホテル。
昔は「呉竹荘(くれたけそう)」と言った。
今は「ホテル・ヴィラくれたけ」という名前になった?
部屋の宿泊案内では、すべてそうなっている。

 私はこうした検査結果で「シロ」判定が出るたび、それを「無罪」とか、
「無罪判決」とか、そんなふうに呼んでいる。
理由はない。
たぶん、もともと法科の学生だったということが関係しているかもしれない。
「良性だったから、シロ、つまり無罪」。

 先週受けた内視鏡検査で、胃壁に1〜2センチ大の腫瘍が見つかった。
ドクターはその一部を切り取り、生体検査に回した。
「念のため」と何度も言った。
私は信じなかった。
写真を見たが、たしかにぽっこりと、盛り上がっている。
表面には、細かい傷もある。
「ただごとではない」ということは、素人の私にも、よくわかった。

 それから1週間。
月曜日にかかりつけの医院に行くと、呼びに来た看護士が指で丸を作ってくれた。
「心配ありません」という合図だった。
検査結果は、「group1」。

●レストラン・デニーズにて

 午後8時にチェックイン。
部屋に荷物を置くと、そのまま近くのレストランに。
『デニーズ』という名前のレストラン。
歩いて、2〜3分のところにある。
ときどき利用させてもらっている。

 私もワイフも、うどん料理。
デザートに、イチゴなんとかという料理+飲み物。
デニーズでも和食料理が食べられるようになった。
おいしかった。

 その料理を食べながら、こんな話をした。
10年ぶりか。
今東光(こん・とうこう)先生(以下、今東光で統一)の話になった。
今では、今東光の名前を知る人は少ない。
作家、参議院議員、それにどこかの宗派の大僧正だった。

 その今東光とは、私はテレビ局で知り合った。
当時、私は日本テレビの11PMという番組で、脚本を書かせてもらっていた。
東洋医学がブームになり始めていたころのこと。
その脚本を書かせてもらっていた。
それが縁で、……というか、私は今東光とは、東京の築地にある国立がんセンター
でしか会っていないが、たびたび会うようになった。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/04/img805676efzikczj.
jpeg"
width="640" height="480" alt="DSC01471.JPG">

●二度の入院

 今東光は、私の知る限り、二度、がんセンターに入院している。
一度目は、直腸がんが見つかったときで、病室ではまったく元気だった。
センターの門の前に、焼肉屋があって、ときどき病院を抜け出し、焼肉を食べていた。
私も一度、連れていってもらったことがある。

二度目は、それから2、3年してからのことだった。
そのときは体を、テントのようなもので覆っていた。
動くのもままならないといったふうだった。

 今東光はメロンが好物で、それを食べたくなると、ときどき電話がかかってきた。
「静岡のメロンが食べたいから、届けてくれ」と。
私はメロンを買って、今東光に届けた。
私が24、5歳のころのことだったと記憶している。

 その今東光が、こんな話をしてくれた。
一度目の入院のときのことだった。

●女を買う

 若い人に、こんな話をしても、理解できないだろう。
私も理解できなかった。
今東光は、こう言った。

「オレは、18、9歳のときから、修行、修行で、女遊びができなかった。
だから今になって、しまった!、と思う。
しまった!、と思って、夜中でも、女を買いに行く」と。
「行く」というところを、「行くべえ」というような言い方をしていた。
どこの方言か、私は知らない。

 その「しまった!」という部分が、理解できなかった。

 また「女を買う」といっても、今東光のばあいは、「絵のモデルを買う」という
意味である。
当時、今東光は、女性のヌード画を好んで描いていた。
細い線の、ヒョロヒョロした絵だった。
行きつけの画廊に電話をすると、画廊は「女」を用意して待っていてくれた。

 その話を聞いて、「どうして何十年前のことを……?」と、私はそう思った。

●後悔

 デニーズでは、今東光の話になった。
それには理由がある。
私がワイフに、「あのときの今東光先生の気持ちが、今になって理解できる」と。
ふと、そう漏らすと、ワイフが「どうして?」と。

 「ぼくはね、若いころ、仕事ばかりしていた。
ほとんど遊ばなかった。
お金を稼ぐことはできたが、みんな人に取られてしまった。
親に取られ、息子たちに取られ、親類にも取られた。
だからね、今になって、しまった!、と思うことが多い」と。

 ワイフは、すなおに同意してくれた。

 「今度ね、がんが疑われたとき、ぼくはそれをまっ先に考えた。
ぼくの人生は、何だったのかのとね。で、ぼくは無罪だった。
だから遊ぶ。若いとき遊べなかった分だけ、遊ぶ」と。

 そのあと、先の今東光の話になった。

●孫の世話

 今にしてはじめて、親とは何か、子どもとは何か、別の視点から見ることができる。
そのときは、わからない。
自分がどんな親であるかさえ、わからない。
子育てにしても、無我夢中。
前だけしか見えない。
うしろを見る余裕など、どこにもない。
一方、親というのが、どういう存在なのかもわからない。

 が、今ならわかる。
ワイフとこんな話もした。

 「ほらね、よく孫の世話と庭いじり……それが理想の老後と説く人がいるだろ。
ぼくはね、そうは思わない。
もう一度、子育てをしろと言われても、困る。もういやだ。
子育ては、一度でこりごり。孫の世話など、まっぴら、ごめん」と。

 ワイフは、私より先に、そう言っていた。
かなり前から、そう言っていた。
「孫は写真で見ればかわいいけど、そばにいたらうるさいだけね」と。
そのときは、「冷たい女性だな」と思った。
しかし今、私はワイフと同じように考えるようになった。

私「そうだな。今はね、教室の子どもたちのほうが、かわいい。
離れて暮らしていることもあるけどね」
ワ「……そうね。教室から出て行けば、そこで責任が消えるから、気も楽だわ」
私「そう、孫たちが毎週、ぼくに会いに来てくれる。
最近のぼくは、そう考えるようになった」と。

●現実の話

 ところで、これは現実の話。
ときどき、祖父母の葬儀に出たあと、そのままの足で教室へやってくる子ども
(幼児)がいる。
「今日、おじいちゃんの葬式だった」とか、言う。
そういう子どもに向かって、私は「悲しかった?」と聞く。
たいていいつも、そう聞く。

 が、いまだかって、「さみしかった」とか「悲しかった」と答えた子ども(幼児)は、
1人もいない。
小学生でも、まずいない。
ただ1人だけ、「泣いた」という子ども(小学3年女児)が、いるには、いた。
そういう子どもは、驚くほど、例外。
で、理由を聞くと、こう話してくれた。
話してくれたというより、その家庭では、いろいろ事情があって、祖父が父親がわりを
していた。
それで「泣いた」と。

●意識のズレ

 で、ときどき私は聞く。
「おじいちゃんや、おばあちゃんが死んだとき、悲しかった人?」と。
が、答はいつも同じ。
「ううん……」「ぜんぜん……」と。
葬儀の場で、はしゃいでいる子どもさえいるとか。
あとで母親が、「困りました」と。

 が、一方、孫が事故にあったり、大きな病気にかかれば、祖父母は神経をすり
減らす。
心配する。
しかし孫の子どもたちは、そうでない。
「老人は死ぬもの」、あるいは「死んで当然」という考え方をする。

 その話をしながら、私はワイフにこう言った。
「幻想はもたないほうがいい」と。

●幻想

 私たちは子育てをしながら、幻想をもちやすい。
幻想に酔いやすい。
しかし幻想は、幻想。
たいていのばあい、親のもつ思いと、子のもつ思いは、大きくちがう。

 内閣府の調査によれば、将来「父親のようになりたくない」「母親のようになりたく
ない」と答えている中高校生は、80%近くもいる(79%……『青少年白書』
平成10年)。
80%だぞ!
80%といえば、ほとんど!

 先日もある小学生(小6男児)が、ふとこう言った。
「あんなヤツ、いないほうがいい」と。
「あんなヤツ」とは、その男児の母親をいった。

私「あのね、君がそんなふうに思っていると知ったら、お母さんは悲しむぞ」
男「いいんだよ、あんなヤツ。いないほうがいいんだよ」
私「本当に、そう思うのか」
男「死んでしまってもいい」と。

 その母親は、人一倍、子どものことを考えている。
そのために人一倍、努力している。
が、子どもの心は、とっくの昔に母親から離れてしまっている。
親の思いと、子どもの思いは、多くのばあい、一致しない。
それが先に書いた「80%」(内閣府)という数字。

 子どもたちの世界というより、日本人の親子関係は、たしかにおかしい。

●孤立無援

 私もそうだった。
子育てはそれなりに楽しかった。
生きがいだった。
それは認める。
しかしその一方で、相当な社会的負担感を、いつも覚えた。

 とくに私のばあい、孤立無援。
孤立無援どころか、実家の心配までしなければならなかった。
これはずっとあとになってわかったことだが、私は、母を通して、何世帯もの
オジ、オバの生活費まで負担していた。

が、肝心のオジ、オバは、そういう話は、自分の息子や娘たちにはしていない。
だから今になっても、私に感謝するイトコはいない。
むしろ年長風を吹かし、私にあれこれ説教したのもいた。
「浩司君、親は親だから、大切にしろよ」とか、など。

 私はいつも追いつめられていた。
仕事ばかりしていた。
そのため「家族」を犠牲にした。
ワイフや息子たちは、今になって、そう言う。
しかし私が本当に犠牲にしたのは、実は「私自身」だった。

●28%?

 ついでにこれも内閣府の調査だが、こういうこと。
日本人の若者(成年男女)のばあい、「将来、親のめんどうをみる」と
自覚している若者は、30%もいない。
(実際には、28%。平成21年調査※)
多くは「経済的に余裕があれば、みる」と答えている。

 しかし経済的に余裕のある人など、ほとんどいない。
それぞれの人がそれぞれの収入の中で、目一杯の生活をしている。
言い換えると、「親のめんどうはみない」ということになる。

が、考えてみれば、これはおかしい。
本来なら、豊かな生活の中で、それを築いた親たちに、もっとも感謝しなければ
ならない。
そういう世代である。
その感謝の念がない。
ないばかりか、それを「当然」と考えている。
へたに「ぼくたちは苦労した」などと言おうものなら、「自業自得」とやり返される。

●自業自得

が、若い人たちを責めてばかりいては、いけない。
私たちの世代にしても、父や母たちがした苦労を知らない。

私の父にしても、台湾でアメリカ兵と戦っている。
腹に貫通銃創を受け、傷痍軍人として、日本に帰ってきた。
父は父なりに、「日本のために戦った」。
が、私はそういう父を、いったいどの程度理解し、感謝しただろうか。
いや、むしろ逆。
私は口にこそ出して言わなかったが、いつもこう思っていた。
「バカな戦争をするからだ」と。

 若い人たちが言う「自業自得」という言葉と、中身は同じ。
どこがどうちがうというのか。

●もうけもの

 「ぼくはね、これからの人生は、もうけものと思っている」と。
友人のS君も、そう言っていた。
S君は、50歳を過ぎたころ、内臓のがんを患(わずら)った。
それ以後、何度か手術を経験している。
「林(=私)、50歳を過ぎたらね、人生はもうけものなんだよ」と。

私「ぼくはね、この1年間、遊んで遊んで、遊びまくる。もちろん、仕事もする。
親や息子たちに取られた分を、少しでも取り返す」
ワ「でもね、私たちはラッキーだったと思うわ。
大きな事故も、病気もなかったし……。
今まで無事でこられたことが、ラッキーなのよ」

私「……ぼくは、そういうふうには、考えられない。
ぼくにはどうであれ、1回の人生。ぼくしか知らない人生。
病気になっても、不幸だとは思わない。しかたないと思う。
病気でないから、幸福ということにもならない。
生き様の問題ではないかな」と。
 
 少しわかりにくい話かもしれない。
こんな例がある。

●1回の人生

 ある進学校(中学)に、S君という男子が通っていた。
運動はよくできたが、勉強のほうは、まったくだめだった。
当時、「落ちこぼれ」という言葉がはやった。
S君は、その落ちこぼれだった。

 が、S君はどういうわけか、その中学校に進学した。
小学校と中学校がつづきになっていた。

 で、ある日、S君が中学3年生になったときのこと。
私はS君にこう聞いた。
恐る恐る聞いた。
「君は、今の学校に入ったことを後悔していないか?」と。
するとS君は、明るい声で、こう答えた。
「ううん、楽しいよ」と。

 私はS君が、進学校にいることを後悔しているものとばかり思っていた。
しかしS君は、「後悔していない」と。

 この話は、私に大きなショックを与えた。
で、私なりにS君を理解しようとした。
で、私の得た結論は、こうだ。
「どうであれ、S君はその学校しか知らない。
知らないから、後悔のしようがない」と。

 つまりS君は、別の学校の、別の人生を知らない。
もし知っていたら、それぞれを比較することによって、どちらがよくて、どちらが
悪いかを知る。
比較できないから、そのときの(現実)を受け入れるしかない。
よくても、また悪くても、受け入れるしかない。
それが、私がここでいう「1回の人生」という意味である。

●ホテル・ヴィラくれたけ

 ワイフは、いつのもように、今、DVDを観ている。
老人夫婦の強盗をテーマにした映画である。
私はこうして鏡に向かって、パソコンのキーボードを叩いている。

 このホテルはすばらしい。
部屋は旧館の6階だが、何でも「特別フロア」とか。
エレベーターを降りたところに、そう書いてあった。
風呂の横には、シャワールームまである。
先月、隣のGホテルにも泊まったが、料金を勘案するなら、ホテル・ヴィラくれたけの
ほうが、はるかにすばらしい。
サービスも本気。
テレビにいたるまで、ピカピカに磨いてある。
冷蔵庫の中まで、ピカピカに磨いてある。
それに分厚いジュータン。
本気度がよくわかる。

 私は茶を作り、ワイフに出す。
ワイフは「ありがと」と言って、それを口にする。

●猶予期間

 さて、(もうけもの)の人生を、どう生きるか。
今回は無罪だったが、次回はわからない。
次回はよくても、そのつぎはわからない。
ドクターは、「1〜2年は、検査しなくてもいいでしょう」と言った。
(たったの1〜2年?)
この言葉を裏から読むと、「2年後はわかりませんよ」という意味。
つまり猶予期間は、2年。

 加齢とともに、そのテンポは速くなる。

 たまたま私の教室にOZ君という生徒がいる。
OZ君の父親は、医大でも、PSA検査の権威。
日本全国を、PSA検査法の指導で回っている。
そのOZ先生と、2度ほどいっしょに食事をさせてもらった。
その席で、「林先生(=私)も、PSA検査を受けなさい」と、さかんに勧められた。
言い忘れたが、PSA検査というのは、前立腺がんを発見するための検査法である。

 以後、どういうわけか、検査づいてしまった。
先月は、大腸から直腸の検査。
そして今回は、食道から十二指腸まで。
言うなれば、入り口と出口の検査をすませたことになる。
しかし猶予期間は、たったの2年。
OZ先生も、そう言っていた。
「2〜3年は、PSA検査は必要ないでしょうね」と。

●「その日」

 今回、内視鏡検査で、「灰色判定」をくだされたときのこと。
私はこう考えた。
「とうとう、来たか!」と。

 が、いつか(その日)はやってくる。
かならずやってくる。
それを覚悟して、私は毎日、完全燃焼に心がける。
一瞬でも、一秒でも、時間を無駄にしたくない。
が、それでも一日たりとも、満足した日はない。
毎晩、床について電気を消した瞬間、こう思う。
「ああ、今日も終わってしまった」と。

 で、そのあとのこと。
ドクターは、「念のため」と数回言いながら、部屋を出て行った。
私はまだ麻酔の残る、甘ったるい意識の中で、こう思った。
「思ったより、早くやってきたな」と。
意外と冷静な自分を知った。
もう少し、取り乱すかと思っていた。
が、冷静だった。

 「死」を覚悟したというより、こう思った。
「仮に悪いものであっても、手術をすればなおるはず。
初期であれば、5年生存率は、95%以上。
その間に、ゆっくりと身辺の整理ができる」と。

●身辺の整理

 身辺の整理……。
いろいろある。
まっ先に考えたのが、「私の人生は何だったのか」ということ。
が、つぎに考えたのが、ワイフの老後。
ワイフは、近くの有料老人ホームへ入居すると言っている。
息子たちに迷惑はかけたくないと言っている。
ワイフの性格からして、そうだろう。
若いころから独立心が旺盛。
私より、はるかに旺盛。

 「土地を売れば、入居費用は何とかなる。
あとは残った財産を、うまく使えばいい」と私。
「学費だけは惜しまない」と、私は考えてきた。
が、気がついてみたら、老後の資金は、底をついていた。
息子たちをうらんだというよりは、親バカだった自分を恥じた。

 つぎに考えたのが、私の原稿。
つまり墓石。
私にとっては、原稿イコール、墓石。
墓石イコール、原稿。
それを少しでも、そして少しでも長く、この世に残したい。
その方法を考えた。

●難問

 が、すぐ難問にぶつかった。
私のように、こうして自分の生活をさらけ出している人は少ない。
少ないから、原稿の内容から、私が今、どういう状況なのか、他人にすぐわかって
しまう。

 それについて、どう自分を表現したらよいのか。
それを何度も、繰り返し考えた。
どこかの有名人のように、大病を告白するのか。
それとも最後の最後まで、隠しつづけるのか。
少なくとも、息子たちには知られたくない。
いらぬ心配をかけたくない。

 その夜、ワイフはこう言った。
「あなたが死んだら、骨は、私がちゃんと預かるわ」と。
それに答えて、私は、ワイフにこう言った。
「ぼくが死んでも、だれにも知らせるな。息子たちにも知らせるな。
お前だけが、その晩、そばにいてくれれば、それでいい」と。

 そういう約束を、たがいに決めておく。
これも身辺整理のひとつということになる。

●『一助、百回』

 あれから35年近く。
今東光は、「しまった!」という言葉を使った。
同じ言葉を、今、私も使っている。
しまった!、と。

 私は私の人生を生きるのを、すっかり忘れていた。
で、気がついてみたら、そこにはだれもいない。
人生はすでに終盤。

ひとりよがりな、自己犠牲。
ひとりよがりな、自己満足。
それだけで生きてきた。

ただ言えることは、金(マネー)の力は、恐ろしく弱いということ。
金(マネー)で、幸福は買えない。
人の心は買えない。
『一助、百回』という格言は、私が考えた。
「人というのは、1回でも助けると、それがそのまま当たり前になる。
そしてそれが100回繰り返される」という意味。

 親にせよ、息子たちにせよ、親類にせよ、みな、そうだ。
私もあと2年で、年金生活者になる。
が、人生で、得た金(マネー)は、ワイフの父親が死んだときにもらった10万円。
それだけ。
親や親類からもらった金(マネー)は、1円もない。
ただの一度もない。

 だから『一助、百回』。
(これは愚痴かな?)

●就寝

 おもしろいことに、こういうホテルでは、ワイフは寝る前に風呂に入る。
私は朝、起きたときに風呂に入る。
このホテルには、大浴場はない。
どうしてだろう?

 家ではいつもいっしょに入っている。
長話をすることも多い。
が、こういうホテルでは、別々。
人の習慣というのも、時とばあいによって変化する。
一貫性がない。
逆に言えば、人は時とばあいに応じて、別の習慣を作る。

考えてみれば、これはおもしろい現象だ。
(新しい考え方、ゲット!)

●就寝

 さて就寝の時刻が近づいてきた。
今、ワイフはその風呂に入っている。
シャワーの音が、よく聞こえる。

 オテル・ヴィラくれたけ。
このホテルのオーナーは、YS氏。
2人の子ども(兄と妹)がいた。
私の教え子である。
幼児のときから、小学4、5年生になるまで、教えさせてもらった。
今ごろは、30歳前後になっているはず。
そういうひいき目をはずしても、ホテル・ヴィラくれたけは、浜松市でも
最高のホテル。
都会的なホテルだが、どこか、家庭的な雰囲気が漂っている。
この部屋(6xx号室)に泊まってみて、それがはっきりと確認できた。

●終わりに

 「これからの人生はもうけもの」と思う。
そう思うだけで、人へのうらみ、つらみは、消える。
生きているだけでも、ありがたい。
健康であるなら、なおさら。
仕事があれば、さらによい。
……というか、生きがい。
生きがいこそ、重要。
それがあれば、さらによい。

 (その日)まで、生きがいをもって生きる。
(その日)がきても、後悔しないように生きる。
(その日)が来たら、「おいでになりましたか」と、受け入れる。
そのためにも、完全燃焼あるのみ。
ただひたすら完全燃焼、あるのみ。
日々に、完全燃焼、あるのみ。

 はからずも今回、それを模擬体験した。
灰色ゾーンの中で、重苦しい日々を過ごした。
が、これではいけない。
「重苦しい」ということは、不完全ということ。
まだまだ私の精進は足りない。
それを思い知らされた。
よい反省の機会になった。

 そうそう言い忘れたが、今朝は、近くのガーデンパークまで行って、昼の
弁当を食べてきた。
そこでのこと。
人間のピュービックヘアー(陰M)そっくりの木を見つけた。
私が、「なあ、お前、あの木ね、陰Mそっくりとは思わないか」と。
ワイフはさかんに、「どうしてあなたはそんなに下品なのよ」と言って笑った。

その写真を、ここに添付しておく。
暗い話ばかりしたので、最後は、笑ってほしい。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/06/img6fde9312zikazj.
jpeg"
width="640" height="480" alt="DSC01435.JPG">

 ……ということで、今夜はここまで。
では、みなさん、おやすみなさい。

2011年2月16日、夜11時23分。

(注※)
イギリスの若者…66%、アメリカの若者…64%、という数字と見比べてみてほしい。
たとえば内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも親のめんど
うをみる」と考えている日本の青年は、たったの28%。

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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●もうけもの人生

++++++++++++++++++++++

ワイフの父親は、戦時中、ラバウルに向かった。
3000人の兵士とともに、ラバウルに上陸した。
が、そこで終戦。
父親の話によれば、生き残って帰ってきたのは、
そのうちの、たったの300人。
(ラバウルでは、約13万人の日本兵が戦死。)

だから生前の父親は、いつもこう言っていた。
「申し訳ない、申し訳ない」と。
私も、1、2度、その言葉を耳にしたことがある。

「自分だけ生き残って帰ってきて、申し訳ない」と。
そのことが大きく関係したかどうかは、知らない。
しかし、がんで手術することになったときのこと。
ワイフの父親は、二度と自宅に帰ることはないと覚悟したのか、
身辺をきれいに整理して、病院へ向かった。

 が、手遅れだった。
開腹はしたものの、そのまま縫合。
それから約1か月後、ワイフの父親は他界した。
私も何度か見舞いに行った。
が、ワイフの父親ほど、すばらしい死に様を見せた人を、
私は知らない。
私が病院へ行くと、いつもベッドの上で正座していた。
かなりの激痛があったはずだが、ただの一度も、
「痛い」とは言わなかった。

そして最期の最期のときも、家族が見守る前で、
自らいくつかの管をはずし、静かに息を引き取っていった。
まったく動ずることはなかった。

私はその話をワイフから聞き、「人は、こんなにも
すばらしい死に方ができるものか」と、驚いた。

+++++++++++++++++++++++

●もうけもの

 ものが見える、音が聞こえる、風を肌で感ずる……。
それだけでも、すばらしいこと。
そのすばらしさに気づいたら、身のまわりのもろもろの問題は、そのまま霧散する。
それを学生時代の友人は、こう表現した。
「もうけもの」と。

 友人はすでに10年近く、がんで、闘病生活をしている。
毎日薬をのみ、週に1度は病院へ行き、月に一度は検査を受けている、と。
「あのなあ、林(=私)、がんなんてものはなあ、見つかったら、切ればいい。
切ったときから、5年は生きられる。
その5年は、もうけものなんだよな」と。
励ますつもりで電話したのだが、かえって励まされてしまった。

●人生、50年

 昔は「人生、50年」と言った。
その前の江戸時代には、平均寿命は45歳前後だったという。
それを思えば、今の私はとっくの昔に死んでいても、おかしくない。
その私が63歳になった今も、生きている。
これを「もうけもの」と言わずして、何と言う?

 そこで重要なことは、その(もうけもの)の人生を、どう生きるかということ。
さらに言えば、密度。
だらだらと無益に100年生きるよりは、たとえ1日でも、有益に
生きたほうがよい。
『朝に道を聞かば・・・』(論語)というのは、そういう意味である。

●健康寿命

 が、私が「もうけもの」と言うときには、もうひとつ別の切実な問題がある。
老後の資金の問題である。
できれば死ぬ間際まで働き、ポックリと死にたい。
そうすればだれにも迷惑をかけることなく、死ぬことができる。
が、そうはいかない。

健康寿命は、(平均余命)―(10年)という。
男性について言えば、健康寿命は69歳前後(79歳−10年=69歳)。
そのあと10年ほどは、もろもろの病気を繰り返す。
79歳ごろ、寿命が尽きる。
その「10年」が問題。
私だけの問題ではない。
ワイフの問題もある。

 元気で仕事ができればできるほど、資金がたまる。
その資金で、有料老人ホームに入ることができる。

●無縁死

 最近、話題になっているのが、「無縁老人」「無縁死」。
最初にその言葉を知ったときには、私も少なからずドキッとした。
しかしこのところ、心境が変わってきた。
「それもいいのではないのかな」と。

 つまり無縁老人になろうが、無縁死をしようが、それはそれ。
……というか、古今東西、ほとんどの人は、皆、そういう死に方をしている。
それを「悪いこと」とか、あるいは「あってはならないこと」と考えるから、
話がむずかしくなる。

「老人」になるまで生きられただけでも、御の字。
若くして死んでいく人のことを思えば、なおさら。
それはちょうど、シワの数を心配する、若い女性に似ている。
歳を取れば、だれだってシワはふえる。
どうしてそれが悪いことなのか。

 喜んで無縁老人になり、無縁死をすればよい。
またそうであるからといって、それを「不幸なこと」と決めつけてはいけない。
大切なことは、それ以上に、「今」をどう生きるかということ。
有意義に、どう生きるかということ。
方法は簡単。
ただひたすら懸命に生きればよい。
結果は、かならずあとからついてくる。

●結果
 
 こう書くと、そうでない人たちにたいへん失礼な言い方になるかもしれない。
しかし私は、こう思う。
「63歳の今、こうして元気で仕事ができるだけでも、ありがたい」と。
頭のほうも、いまのところ心配なさそう。
そういう私を見て、ワイフはこう言う。
「私たちはラッキーだったわ」と。
大きな病気はしなかった。
大きな事故もなかった。

 が、私はそうは思わない。
20代の後半から、60歳になるまで、私は運動を欠かさなかった。
毎日、2単位(1単位=40分)のサイクリングをつづけた。
頬を切るほど冷たい風の中でも、欠かさなかった。
その結果が、「今」ということになる。

●放心状態

 はからずも今回、私はがん検診で、「死」をそこに感じた。
自分の限界を、そこに感じた。
「私も、ここまでか」と。
しかし不思議なことに、あれほどまで日ごろは、死を恐れていた私が、冷静だった。
もう少し取り乱すかと思った。
事実、30歳前後のとき、脳腫瘍を疑われたときには、放心状態になってしまった。
病院からどのように家に帰ったか、覚えていない。
途中でワイフが車で拾ってくれたが、ワイフはこう言った。
「あなたは幽霊みたいだった」と。

 その夜は、1歳に前後になったばかりの長男の顔を見て、泣き明かした。

 その同じ私が、冷静だった。
その理由のひとつが、ワイフの父親ではないかと思う。
父親は、「死んでいて当たり前」という前提で生きていた。
今の私について言えば、「死ぬのが当たり前」。
それを思えば、一日、一日、生きているだけも、ありがたい。
意識したわけではないが、いつの間にか、私はその精神を引き継いでいた。
そこで今は、こう思う。
「生きているだけでも、もうけもの」と。

●もうけもの人生
 
 ここ数日は、のんびりとさせてもらっている。
今朝も、午前8時起き。
しかし昨日から、運動を再開。
今日から原稿書き、再開。
明日からは、また午前5時ごろ起きる。

 ただ頭の活動は、たしかに鈍くなってきた。
新しい発見も、少なくなってきた。
何よりも心配なのは、ものごとに対する関心が薄れてきたこと。
ニュースサイトに目を通しても、そのまま読んで終わってしまう。
「これではいけない」とは、思う。
思うが、そのまま終わってしまう。

 (そう言えば、最近、「電子マガジンをやめようか」と思うことが多くなった。
それもそのひとつ。)

 生きることに、めんどう臭さを覚えるようになったら、おしまい。
だから今日もがんばる。
がんばろう!

2011年2月18日朝記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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